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正確な数値は残っていませんが、歩行者天国の曜日には店の売り上げは2倍だとも言われており、この事例を真似て世界各国で歩行者天国が行われるようになりました。
銀座の歩行者天国の歴史
銀座の歩行者天国の歴史を見てみましょう。その始まりは試験的に行われたもので、多くの商店が並ぶ銀座は、一大歩行者天国スポットとして有名になります。
1970年に銀座・新宿・池袋・浅草の4地区で開始
銀ブラなどは大正時代に流行った言葉で、銀座の街をブラブラ歩くことと、周辺のカフェなどでコーヒーをくつろいで飲むことなどで著名人がこぞって行い、文化として流行らせました。銀座の歩行者天国の歴史は、1970年にさかのぼります。
初めは、銀座と新宿、池袋、浅草の4地区で車の通行止めをし、車道を歩行者に開放することによって、周辺からの人を集め、商店街の活性化に繋げようという狙いです。また1970年代は東京の大気汚染が深刻な状況でした。
東京の大気汚染と商店街の活性化の両方を狙ってこの4都市に歩行者天国が作られています。浅草なども効果がありましたが、特に効果が上がったのが銀座の歩行者天国だと言われています。
銀座の歩行者天国は歩行者を集めるだけでなく、周辺の商業施設へも人の流れを生み、新しい銀ブラのスタイルを確立しました。日曜日に行われる歩行者天国は、周辺の商店街や商業施設の活性化も生み出しているのです。
約45年間が経過
そんな銀座の歩行者天国も約45年が経過し、来年で50年です。45年もの間銀座の街は変わりましたが、人を集める商業施設やカフェなどは歩行者天国が行われるときにはより一層の売り上げが記録されることは当たり前の事実です。
こうして銀座などの歩行者天国の成功例から今では全国各地に歩行者天国が行われるようになり、商業などの発展に寄与しています。
「ホコ天」の愛称で若者たちの間で人気に
歩行者天国は若者の間では「ホコ天」などと呼ばれ、原宿ではラジカセに音楽をかけて踊るなどの独自文化も生み出しました。現在では地域の活性化と共に商店会などが主体となって、メイン通りを車の通行止めにし、多くの歩行者が広い歩道を悠々と歩いています。
銀座の歩行者天国の開催情報
銀座の歩行者天国の開催情報をまとめています。場所から日程、時間などを詳細に紹介します。
場所
場所は銀座の中心部を通る中央通りの「銀座通り口」交差点から「銀座8丁目」交差点までの約1100mの場所です。途中晴海通りと交差する「銀座4丁目」交差点の場所は、晴海通りが右左折禁止で、車が走っています。
場所柄裏道があるものの、車での通行は不便なため、公共交通機関での移動が便利です。最寄りの駅は複数にまたがっており、どの駅からもアクセスできますが、JR各線「新橋駅」からが最も簡単に歩行者天国の場所にアクセスできます。