廃線の危機を救った「初代たま駅長」がいた和歌山電鉄貴志駅へ!その魅力を探る

廃線の危機を救った「初代たま駅長」がいた和歌山電鉄貴志駅へ!その魅力を探る

2007年からテレビやネットで引っ張りだこだったメスの三毛猫、和歌山電鉄貴志駅の「初代たま駅長」は、現在は貴志駅の名誉永久駅長および、たま大明神として貴志川線を見守っています。赤字ローカル線の廃線の危機を救った初代たま駅長の功績と貴志駅の今に迫ります!

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記事の目次

  1. 1.和歌山電鉄とは?
  2. 2.廃線の危機を救った初代たま駅長誕生秘話
  3. 3.初代たま駅長のかわいい見た目と性格
  4. 4.初代たま駅長の功績
  5. 5.2015年初代たま駅長は天国へ
  6. 6.貴志駅周辺の魅力スポット
  7. 7.和歌山電鉄貴志駅へのアクセス
  8. 8.初代たま駅長がいた貴志駅に行ってみよう!

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和歌山電鉄とは?

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貴志川線を廃線の危機から救った「初代たま駅長」の話をする前に、和歌山電鉄についてご説明しましょう。

和歌山電鉄とは、和歌山市に本社を置き、貴志駅を通る「貴志川線」を経営する会社です。岡山電気軌道の完全子会社で、両備グループに属しています。

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和歌山電鉄は、正式には「和歌山電鐵」と、旧字体の「鐵」を使用します。「鉄」の字は「金」を「失」うと書くため、縁起が悪いとして「鉄」の字を使わない鉄道会社がありますが、和歌山電鐵は、「鉄(鉄道)の基本に立ち返る会社」という意味だそうです。

和歌山電鉄は、一般公募の中から選ばれた社名です。経営のモットーは、「日本一心豊かなローカル線になりたい」です。社内には、沿線住民の要望を取り込んで活かす仕組みが作られています。それでは、そんな和歌山電鉄の歴史についてご説明していきましょう。

和歌山電鉄の歴史

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和歌山電鉄は、貴志川線の廃止の危機を救うために設立された新会社です。元々貴志川線は、沿線にある日前宮、竈山神社、伊太祁曽神社などへの、いわゆる三社参りのために、1916年に山東軽便鉄道が開業しました。

その後延伸や起点の変更を経て、1931年には和歌山鉄道に社名を改め、1943年には全線電化したことで、ほぼ現在の形のようになりました。

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1957年には和歌山市内の軌道線であった和歌山電気軌道が和歌山鉄道を合併し、1961年には南海電気鉄道が和歌山電気軌道を合併したことで、貴志川線は南海電気鉄道貴志川線となりました。1971年に和歌山軌道線が廃止されると、貴志川線は他の南海の路線から孤立しました。

1973年に南海の路線では架線電圧が1500Vに上げられましたが、貴志川線は600Vのままとされました。1990年代になって一部駅の無人化やワンマン運転などの近代化、合理化が行われていきました。しかし貴志川線の利用者は伸び悩んでいました。

和歌山電鉄はなぜ廃線に?

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貴志川線沿線は、宅地開発が進みましたが、自家用車の利用が多く、また、少子化や自転車通学により高校生の通学利用が減ったこともあり、利用者の伸び悩みが顕著になっていきました。2003年11月には、ついに南海電気鉄道が貴志川線の廃止を検討していることを表明しました。

2004年8月には、2005年9月をもって貴志川線から撤退することも発表し、2004年9月に国土交通省近畿運輸局に鉄道事業廃止届出書を出しました。こうして貴志川線は廃線の危機に陥っていきます。

そこで手を挙げたのが貴志川線沿線市民組織です。「貴志川町くらしを環境を良くする会」や、「和歌山市民アクティブネットワーク」、「南海貴志川線応援勝手連」 などが存続運動を行い、それを伝え聞いたNHKは、総合テレビ「難問解決!ご近所の底力」への出演をオファーします。

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NHKへの出演がきっかけとなり「貴志川線の未来をつくる会」が正式に設立され、6000人を超える会員が集まり注目されました。こういった取り組みなどが功を奏し、2005年2月和歌山県、和歌山市と旧貴志川町(現紀の川市)は貴志川線存続で合意、事業の引き継ぎ先を公募することになりました。

鉄道用地の買い取りや今後想定される貴志川線の施設整備費、南海電気鉄道から運営移管後10年間の運営費補助は、和歌山県、和歌山市、旧貴志川町(現紀の川市)が分担して経費負担することとしました。

廃線の危機を救った初代たま駅長誕生秘話

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貴志川線の引継ぎ先を公募することは決定しましたが、その後、どのような経緯で初代たま駅長は誕生し、廃線の危機に瀕していた貴志川線を救っていくのでしょうか。

両備グループが再生の狼煙を上げる

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廃線の危機に追い込まれた貴志川線は、地元住民などの存続運動により、事業の引き継ぎ先を公募することになりました。そこで狼煙を上げたのが両備グループに属する岡山電気軌道など9つの企業・個人です。

岡山電気軌道は、締め切りの最終日まで応募を迷っていたそうですが、和歌山の市民団体から応募依頼状が届いたこと、岡山県に本拠を置く市民グループから勧めがあったこと、近畿地方の鉄軌道事業者からの応募がなかったことなどを勘案して応募を決断したといわれています。

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選考作業の結果選ばれたのが、岡山電気軌道でした。岡山電気軌道は軌道経営の経験がある会社だからです。そして岡山電気軌道は、100%子会社として和歌山市に和歌山電鉄株式会社を設立しました。

営業開始時には、南海から貴志川線専用車両12両全車が無償譲渡されました。その後順次車体色を、南海カラーから和歌山電鉄の車体の色に塗り替えることとなり、貴志川線の名物となる「いちご電車」や「おもちゃ電車」、「たま電車」、「うめ星電車」などが生まれていきます。

貴志駅に飼われていた猫が「初代たま駅長に」

元々たまは、南海時代に貴志駅南側にあった倉庫と貴志駅の売店「小山商店」との間に作られた猫小屋で飼われてたメスの三毛猫です。昼間には「小山商店」の前で過ごし、そのおっとりとした性格で、ご近所さんたちや駅の利用客にかわいがられていました。

「たまが必要以上に耳を掻くと、次の日の降水確率は90%以上」という天気予報の逸話まで残っているほどです。いわば「駅のアイドル」でした。

そんな中、貴志川線が廃線の危機に瀕し、南海電鉄から和歌山電鉄への経営移管が決定、路線や駅の敷地は南海の社有地から旧貴志川町の公有地となることになりました。そのため、そこに置かれていた、たま達の猫小屋は立ち退きを迫られることとなります。

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困った飼い主が、和歌山電鉄の開業記念式典を終えた小嶋光信社長(両備グループ代表)に「猫たちを駅の中に住まわせてもらえないか」と相談したところ、小嶋社長は受け入れ、貴志駅を無人化したこともあり、なんとたまを駅長に任命してしまったのです!

小嶋社長は猫よりも犬が好きだったそうですが、「たまちゃんと目があった瞬間、ピカッとたまちゃんの駅長姿が頭にひらめきました」と後に語っています。

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「実に立派で、キラキラしていました。今の日本人にもない目だと」「神様から使わされた鉄道の救世主」とたまの魅力にメロメロです。「招き猫」になって欲しいとの願いを込めて、「駅のアイドル」たまを駅長に任命したそうです。

初代たま駅長は瞬く間に人気となり、貴志川線を立て直していきます。貴志川線が廃線の危機に瀕していたところへ和歌山電鉄の社長に任命された小嶋光信氏は、気合十分だったことは想像できますが、その先見の明には驚くばかりです。

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たまの母親、ミーコと、同居するメス猫のちびも合わせて助役に任命されました。駅長・助役への任命に際し、3匹それぞれには正式な委嘱状が交付されました。たまには特製の駅長帽と金色の名札も配布され、勤務中はこれらを身に着けていました。

たま駅長の勤務は月~土曜日(祝日も含む)の昼間(時間は季節によって異なる)です。「おもちゃ電車」のテープカットや「貴志川線祭り」などのイベントに出張したこともあります。

初代たま駅長のかわいい見た目と性格

初代たま駅長は三毛猫で、3色の毛色がかわいらしく、また、両足を合わせると前足の模様がハート形に見え、見たら幸せになると話題を呼びました。

初代たま駅長は、見た目もかわいらしいですが、同時にその性格もまた魅力がありました。南海の貴志駅時代から「駅のアイドル」としてご近所さんや駅の利用客に親しまれていたことは上述しました。

初代たま駅長が、人懐っこく、物怖じしない性格だったことがわかるエピソードが残っています。待合室のベンチで待つ1人の駅利用客のもとへ、1匹の三毛猫がすり寄ってきて、何かして欲しそうな目で利用客をじーっと見つめ、「にゃあ」と鳴きました。

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利用客はあげられそうなエサは何も持ってなかったため、頭をなでてあげると、それで満足したのか、猫はどこかへ行ってしまったそうです。この猫が後の初代たま駅長です。

初代たま駅長は、駅長就任後には地位にふさわしい、堂々とした風格を漂わせていたという声も聞こえました。たくさんの人に親しまれ、愛されていたことが分かります。

初代たま駅長の功績

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たまが駅長に就任したことは話題となり、貴志駅の乗降客数は飛躍的に増加したことで、たまには2007年春の開業1周年記念式典では「スーパー駅長賞」が、2007年12月には両備グループにおける「トップランナー制度」に基づく「トップランナー賞・客招き部門」が贈られました。

トップランナー賞のご褒美には猫じゃらしのおもちゃ、年末手当にはカニカマのスライスが贈られています。さらに、就任1周年の2008年1月5日には「スーパー駅長」(課長相当)に昇進しました。大々的な式典も執り行われ、たまには新たに青地に金のS字が入った名札が授けられました。

2008年10月28日には、仁坂吉伸県知事から「和歌山県勲功爵(わかやまでナイト)」の称号が贈られています。

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2008年4月20日には閉鎖された出札窓口跡を利用して「駅長室」が設置されました。駅長室のデザインは、「いちご電車」や、最近ではJR九州の「ななつ星」や「或る列車」などをデザインをした水戸岡鋭治氏が手がけました。

就任3周年の2010年には、たまは執行役員への昇進が決まりました。2010年1月3日には貴志駅で就任式が開かれ、和歌山電鉄公式サイトの執行役員の欄にもしっかりとたまの名前が記されました。

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2011年1月5日、駅長就任4周年記念式典においては、仁坂吉伸県知事より「和歌山県観光招き大明神」の称号が贈られ、同時にインバウンド促進のために「国際客招き担当役」にも任命されました。

2013年1月5日、駅長就任6周年記念式典では、「社長代理(和歌山電鉄ナンバー2)」にまで出世し、2014年1月5日には、「ウルトラ駅長」の称号が与えられました。

2007年よりテレビやネットで引っ張りだこに

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2007年1月、たまが駅長に就任すると、その話題は多数のテレビニュースや新聞でも取り上げられ、引っ張りだことなりました。テレビ番組や雑誌などで魅力的なたまの特集が組まれることもありました。

また、同時期にインターネット上では「ねこ鍋」など、猫が話題となることも多く、初代たま駅長もまた、たくさんの人の間で話題となりました。そしてたま駅長を一目見たいという乗客が日本各地から貴志駅を訪れるようになりました。

CNNなど、日本国外のメディアでも取り上げられ、国内外問わず多くの観光客が貴志駅を訪れています。

関連グッズや乗客増加により廃線の危機救う

貴志駅の乗降客数は、初代たま駅長就任までは1日約700人だったのが、就任直後の2007年1月には約17%も増加しました。2007年のゴールデンウィーク期間中には、前年8月に運行を開始した「いちご電車」との相乗効果もあってか、和歌山電鉄では、前年同期比40%増にもなる収入を記録しました。

「いちご電車」は、貴志駅周辺の名産品であるいちごをモチーフにデザインされた和歌山電鉄の電車です。ある研究によると、2007年1月の初代たま駅長就任以来、和歌山県への観光客増加などによる1年間の経済波及効果は、11億円に達したといわれています。

廃線の危機に瀕していた貴志川線が、たった1年間で、驚くほどの経済波及効果を生んだのです!たまの登場が火付け役となった平成の猫の大ブームは、「ネコノミクス」とまで呼ばれました。

ぬいぐるみやバッチなどが飛ぶように売れる

たくさんの乗客がたま駅長に会いに貴志駅を訪れると、ぬいぐるみやバッチなどの、たま関連グッズが飛ぶように売れました。初の初代たま駅長グッズは写真集「たまの駅長だより〜いちご電車で会いにきて」でした。

これらの売り上げや乗降客数の増加により、初代たま駅長は貴志川線を廃線の危機から救いました。猫が一つの路線を廃線の危機から救うとは、驚きです!

廃線の危機というと、駅員はもちろん、地元住民にも多くの被害や不便を強いることとなります。貴志川線は、廃線の危機から救われ、生き返りました。貴志川線に関わる多くの方の笑顔が見えて来るようです。

2010年たまミュージアム貴志駅として生まれ変わる

2010年8月、貴志駅は、たまミュージアム貴志駅として生まれ変わりました。鉄道デザインの魔術師、水戸岡鋭治氏によりデザインされました。きのくに和歌山にふさわしく、木造で作られた駅舎には世界で唯一、檜皮葺きの猫の顔をした屋根がついています。

駅長室も新しくなったことで、初代たま駅長が気に入ってくれるかどうか、周囲は心配したそうですが、当の本人は入るや否や、気持ちよさそうに寝そべって、大きく体を伸ばしてくつろいだといいます。さすが物怖じしない、初代たま駅長です。

たまミュージアム貴志駅の詳細については、後程「貴志駅周辺の魅力スポット」の章でご紹介します。

2015年初代たま駅長は天国へ

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2015年5月19日から初代たま駅長は鼻炎のため入院していましたが、同年6月22日に老衰による急性心不全で天国へ召されました。16歳、人間に例えると約80歳でした。

同月28日に、和歌山電鉄主催による葬儀が貴志駅構内にて行われ、地元や海外からもファン約3000人が詰めかけました。小嶋光信社長が弔辞を捧げ、たまに「名誉永久駅長」を追贈しました。

初代たま駅長は名誉永久駅長に就任

初代たま駅長は、2008年1月5日には「たまスーパー駅長」に、2014年1月5日には「たまウルトラ駅長」に就任しましたが、最後には「たま名誉永久駅長」となりました。

和歌山電鉄は、貴志駅ホームにあった神社を「たま神社」と命名し、2015年8月11日にはたま神社の宮開き神事が執り行われました。社長の小嶋光信氏、和歌山県知事の仁坂吉伸氏らが参列し、神社には初代たま駅長の銅像2体も「狛猫」として設置されました。

神道の50日祭の後には、関係者が参列し、「たま大明神」を迎えました。小嶋光信社長は、たまは「和歌山電鉄と全国の地方鉄道の救世主だったが、今後は神様として多くの人を救ってくれる」と語ったそうです。

岡山電気軌道の東山線では、2015年7月22日から8月13日にかけて、初代たま駅長を追悼する、特別仕立ての電車を運行しました。車体に様々な初代たま駅長のイラストが描かれている「たま電車」車両を使い、車内の広告掲出箇所には、初代たま駅長の写真28枚を掲出しました。

初代たま駅長の死は、中国・韓国メディアをはじめとし、イギリスBBCやアメリカのCNN、AFPやAP通信社、ウォールストリートジャーナル、ワシントン・ポストなどでも報じられ、多くの人が悲しみに包まれました。

現在は2代目駅長たまが就任

現在は、初代たま駅長と同じく三毛猫の「ニタマ」が2代目駅長として活躍しています。「ニタマ」は、「たまに似た2番目の駅長猫」という意味で使われています。

「ニタマ」は、子猫だった2011年春頃に、岡山市内の国道で交通事故に遭いそうになっていたところを助けられ、三毛猫という縁から岡山電気軌道に譲られた猫です。

人懐こい性格もあって駅長見習いに抜擢され、2012年1月5日、たまの駅長就任5周年記念式典においては「貴志駅長代行兼伊太祈曽駅長」に任命されました。伊太祈曽駅は、和歌山電鉄の本社や車庫がある貴志川線の駅です。

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週末や祝日など、初代たま駅長が貴志駅を休む際には、「貴志駅長代理」を務め、2012年2月18日には伊太祈曽駅にも猫用駅長室が作られ、平日(水・木曜日以外)はそこで勤務していました。

たまが「ウルトラ駅長」に昇進した際、「ニタマ」は「スーパー駅長」となりました。2015年8月10日の初代たま駅長の50日祭を機に、翌日には「ニタマ」が「たまII世駅長」を襲名しました。2019年1月5日には、部長職相当の「マネージャー駅長」に昇進しています。

貴志駅周辺の魅力スポット

Photo by Richard, enjoy my life!

ここでは、貴志駅周辺の魅力スポットをご紹介します。貴志駅周辺には魅力的なスポットが存在します。貴志駅に行った際は、是非貴志駅周辺の魅力スポットも合わせて訪れてみてはいかがでしょうか。

1:たま電車

貴志駅周辺の魅力スポット1つ目はたま電車です。たま電車もまた、鉄道デザインの魔術師、水戸岡鋭治氏によりデザインされました。

たま電車の先頭車両には猫耳が付いており、車体には、101匹の初代たま駅長が、走ったり、寝転んだり、様々なポーズで描かれています。

車内もまた、かわいいたまで溢れています。座席は、初代たま駅長の三毛猫模様のような座席があったり、猫耳が付いた座席があったり、様々な形の座席が乗る人を楽しませてくれます。

また、「たま文庫」として本棚が設置され動物関係の本が並んでいるので、電車に乗っている間、動物について学ぶことができるようになっています。

車両の改装費用は国内外から寄せられた「たま電車サポーター」の支援や寄付などでまかなわれました。たま電車は、現在貴志川線を1日当たり6~13往復して、子供や観光客を楽しませています。

2:貴志駅駅舎

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貴志駅周辺の魅力スポット2つ目は貴志駅駅舎です。貴志駅駅舎は、2010年にたまミュージアム貴志駅として生まれ変わり、世界で唯一、檜皮葺きの猫の顔をした屋根がついた駅舎となったことはご紹介しました。

猫耳や、ステンドグラスでできた目は猫の顔を想起させるデザインで、とてもかわいいです。たまミュージアム貴志駅の駅舎内には、初代たま駅長のイラストや写真がちりばめられています。

また、「たまミュージアム」や「たまカフェ」、「たまショップ」、「たまトイレ」を併設しています。「たまカフェ」では地元の旬の果物を使った「たまスイーツ」やジュースなどを楽しむことができ、「たまショップ」では電車や初代たま駅長、ニタマの様々なグッズを販売しています。

お店で写真集を買った人や、持ってきた人には、たまの肉球スタンプを押してくれるサービスがあるので、是非利用してみてください。ホームには「たま神社」、「いちご神社」、「おもちゃ神社」もあり、お参りすることもできます。

3:紀の川市観光交流拠点 紀楽里

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貴志駅周辺の魅力スポット3つ目は紀の川市観光交流拠点 紀楽里です。紀の川市観光交流拠点 紀楽里は、貴志駅周辺、紀の川市の魅力を紹介している施設です。目の前にはイベント広場もあります。

紀の川市の観光をテーマとした地図などを置いており、貴志駅周辺をはじめとした、魅力スポットの案内をしてもら事ができます。「フルーツマップ」では、市特産のフルーツを食べられるカフェや土産施設などを紹介しています。

紀の川市は、イチゴの産出額は県内1位、いちじくやはっさくは全国1位を誇ります。紀の川市観光交流拠点 紀楽里は、日本政府観光局の外国人観光案内所にも認定されています。

4:大国主神社

貴志駅周辺の魅力スポット4つ目は大国主神社です。大国主神社は、貴志駅から徒歩約10分のところにある神社で、通称「おくにっさん」と呼ばれ、親しまれています。大国主命が当地を訪れ、祀ったことが起源とされています。

大国主神社の神楽殿は、高床式舞台造りです。江戸時代中期に、この地方の神事や祭礼に使用されていたそうです。

和歌山電鉄貴志駅へのアクセス

初代たま駅長や貴志駅、貴志駅周辺の魅力スポットについてご紹介しましたが、ここでは、和歌山電鉄貴志駅へのアクセスをご紹介します。

車でのアクセス

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貴志駅周辺には駐車場がありません。周辺での路上駐車は近隣への迷惑となるので、絶対にやめましょう。車でアクセスする際はJR「和歌山」駅、または和歌山電鉄「伊太祈曽」駅に駐車して貴志川線を利用する方法となります。

JR「和歌山」駅、和歌山電鉄「伊太祈曽」駅へのアクセスは、阪和自動車道「和歌山」インターチェンジから車でそれぞれ約10分、約12分のところにあります。

電車でのアクセス

貴志駅への電車でのアクセスは、JR「和歌山」駅9番のりばから貴志川線で約32分、終点です。和歌山電鉄「伊太祈曽」駅からは約12分で着きます。

初代たま駅長がいた貴志駅に行ってみよう!

今回は、初代たま駅長と貴志駅、その周辺の魅力スポットについてご紹介しましたが、いかがだったでしょうか。

貴志川線を廃線の危機から救ってくれた初代たま駅長は、たくさんの人を笑顔にしてくれましたが、今も天国で貴志川線を見守ってくれていることでしょう。初代たま駅長がいた貴志駅を訪れてみてはいかがでしょうか。

Bird
ライター

Bird

関西生まれ、旅行と美術館巡りが趣味のBirdです。食べることも大好きです。皆様に世界の魅力的なスポット、素敵なものをご紹介していきます!記事に旬な情報や面白いエピソードを盛り込み、楽しんで読んでいただけるよう、心がけています。よろしくお願いいたします。

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