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城壁も見事な「鳥取城」をご紹介
日本100名城のひとつ「鳥取城」は鳥取県鳥取市にあります。明治時代に城の解体が行われ、その後地震による崩落、唯一現存していた「中仕切門」が1975年の台風によって倒壊し、現在は天守台と城壁のみが当時のものとして残っています。
しかし、残された城跡だけでも見どころのある、価値ある名城として称えられ、歴史好きの人々がひっきりなしに訪れる場所として有名な、鳥取県を代表する観光スポットとなっています。
特に城壁は、戦国時代から江戸時代後期までの技術が残されているので、「城の博物館」との別名をもつことでも知られています。
「鳥取城」って?
日本100名城にも名を連ねる「鳥取城」とはどんなお城なのでしょう。まずは鳥取城が築城された経緯や、築城した人物、更には鳥取城までのアクセス方法についてご紹介します。
一説では山名誠通が久松山の地形を利用した山城として築城
1545年、現在の岡山県和気郡和気町田土にある天神山城を本拠地としていた、因幡の守護・山名誠道が、出城として久松山の地形を利用し、築城したことが鳥取城の始まりと言う一説があります。
山名氏は、中国地方を中心にとてつもない勢力を持っていた名族でしたが、戦国時代の末期ごろにはその力も衰えをみせ、因幡と但馬にわずかな勢力をもつのみでした。
近年の研究で違う由来も
しかし近年の研究では、山名誠道が鳥取城を築城した説と異なる意見が出ています。因幡の山名誠通と対立していた、但馬の山名裕豊が、付城として築城したのではないか、と言う説の方が有力と支持されています。
鳥取城の正式な城主が確認されるのは、1570年代前半ごろの武田高信からと言われています。武田高信は、山名氏の家臣でしたが、次第に力をつけていき、鳥取城主にまで上り詰めました。