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鹿児島城ってどんなお城?
薩摩藩の「鹿児島城」とはどのようなお城なのでしょうか。お城といっても、大きいものから小さいものまで、たくさんの種類があります。まずは、「鹿児島城」についての基本情報をお伝えします。
日本100名城にも登録される薩摩藩の本拠地
「鹿児島城」は「日本100名城」にも登録されています。「日本100名城」は、日本城郭協会財団法人が2007年に設立40周年となることを記念して始まった事業です。「日本100名城」事業は、文部科学省や文化庁の後援も受けています。
「日本100名城」は、日本の代表的な遺産であるお城を、よりたくさんの人々に広め、興味関心を持ってもらおうと選定されました。これによって、多くの人々がお城を見に訪れ、地域の活性化にもつながりました。
西郷隆盛もゆかりの場所
「日本100名城」にも選ばれた「鹿児島城」は、西郷隆盛にもゆかりのある場所となっています。西郷隆盛は江戸時代末期に活躍した薩摩藩を代表する武士です。東京の上野公園には犬を連れた西郷隆盛の像があり、東京の観光スポットにもなっています。
西郷隆盛は、薩摩藩で下級武士の家系として生まれました。幕末から明治時代に活躍した大久保利通の幼なじみです。西郷隆盛は薩摩藩の役人として働き、薩摩藩のリーダーとして、大久保利通と一緒になって江戸幕府倒幕に尽力しました。
西郷隆盛は江戸幕府倒幕のため、坂本龍馬の仲介もあり、それまで敵対していた長州藩と協力することにしました。これが長州藩の木戸孝允との間に結ばれた薩長同盟です。
その後、戊辰戦争で新政府軍と旧幕府軍の激しい戦いとなり、新政府軍の勝利で幕を下ろしました。しかし、西郷隆盛と新政府は今後の方針で意見が食い違い、西郷隆盛は新政府を出ていくこととなりました。
薩摩に戻った西郷隆盛は、同じく新政府に不満を持った武士たちに促され、西南戦争を引き起こします。そこで西郷隆盛は戦いに敗れ、戦死してしまいました。