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北海道旅で必見!「松前城」は人気観光スポット!
北海道を巡る旅で是非訪れてほしいのが松前城です。松前城は、日本で最後の日本式城郭として有名なお城であり、桜の名所にもなっている観光スポットです。
広い敷地をもつ松前城は、見どころが満載で北海道の道南を代表する観光スポットの1つとなっていますので、多くの旅行客で賑わい松前城を巡るコースを満喫しています。
日本最後の旧式築城「松前城の歴史」
松前城は幕末のころに築城されたお城であり、日本の歴史において最後の日本式城郭として知られていますが、その歴史の始まりは松前家の初代藩主である松前慶広が城を築き上げたのは、1606年でした。
その後火災などにより度々修築を行い、1849年藩主の松前崇広は江戸幕府より、外国船の出没攻撃に備え津軽海峡の警備強化を図る目的として築城を命じられました。
松前城の築城が命じられたころは、幕府の中では新しい城を築城することは全面的に禁止されていた為、異例とも言える命令であり石田城と日本最後の期に築城され、北海道の大地に関しては、1つだけの日本式城郭となっています。
日本最後の日本式城郭である松前城は、完成までに5年の歳月をかけ出来上がった城は、松前福山城として日本最後の日本式城郭となりました。松前城は面積が約7万7800平方メートルの広さを持ち本丸・二の丸・三の丸で構築され攻撃に備えての砲台も数多く設置されていました。
箱館戦争の時には、1868年12月に土方歳三が率いる旧幕府軍に攻められますが、翌年、新政府軍が奪回しています。明治維新後は、天守などを除く城の大半が取り壊されてしまいましたが、天守は国宝保存法に基づく国宝に指定されました。
戊辰の役や太平洋戦争など様々な歴史的事件の際にも残った、価値のある松前福山城の天守閣でしたが、1949年6月に近くで発生した火災の飛び火が原因により焼失しています。
築城された当初から残されているのは、本丸の御門や玄関・旧寺町の御門だけになります。他にも石垣などを含めた、城跡は国の史跡に指定されている歴史ある建造物になります。
1957年、当時の町長が発起人となり松前城を再建するべく、松前城再建期成会が結成され募金活動の上5800万円近い寄付金と町費を加え復元工事を実施しています。
1959年に焼け跡の敷地整備が行われ本格的に再建工事が開始した松前城は、1960円に外観工事が完了・1961年に落成しています。基本的な城の構造は鉄筋コンクリート構造になっています。