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先ほどもお伝えしたように、鳥取城は日本100名城のひとつに名を連ねています。しかし、現在では天守台と城壁のみと言う、城跡の状態となっているため、鳥取城を幕末期の姿に復元しようという試みが始まっています。
鳥取城跡が公園として整備・利用されるようになった1923年から100年後の、2023年をめどに、大手登城路全体を、幕末の頃の姿に復元することを目指しています。
日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ
日本城郭協会は、世界各国にある城郭に関する研究や調査を行っています。その協会が認定した日本100名城には、北海道から沖縄までの城・城跡があり、鳥取城もそのひとつです。
また鳥取城は、羽柴秀吉の兵糧攻めの際に築かれた「太閤ヶ平」とともに、国の指定史跡にも登録されています。
鳥取城へのアクセス
それでは、観光で鳥取城を訪れる場合の、実際のアクセス方法についてご案内致します。アクセス方法は大きく分けて3つあります。まずは、自家用車で向かう場合です。鳥取自動車道を鳥取ICで降り、約20分ほどで鳥取城跡に到着します。
周辺には鳥取県庁駐車場と県庁北側緑地駐車場があります。いずれも無料で使うことが出来ます。次にバスを利用する場合のアクセス方法です。JR山陰線鳥取駅より出ている100円の循環バス「くる梨」の「緑コース」で約7分で到着します。
下車駅は「仁風閣・県立博物館」です。また、土日祝のみ出ている、ループ「麒麟獅子バス」に乗り「鳥取城跡」で下車するルートもあります。鳥取城へは徒歩で向かうことも出来ます。
最後に、徒歩でのアクセス方法です。JR鳥取駅から25分ほど歩くと到着します。周辺を散策がてら歩いて向かうのも良いかもしれません。
鳥取城跡へ向かうアクセス方法は上記の3つになります。利便性や当日のスケジュールを考慮して、どの方法を使うか検討してみて下さい。
「鳥取城」の歴史
ここからは鳥取城の歴史についてご紹介します。鳥取城は戦国時代、重要な要衝として、歴史上の有名人も関わるほど、各武将に狙われていた城でした。それでは具体的なエピソードをお伝えしてまいります。
「鳥取城渇殺し」
鳥取城を語るうえで外せない歴史エピソードは、「鳥取城渇殺し」です。歴史好きなら知らない人はいないほどの有名な出来事です。
「鳥取城渇殺し」は、1581年の3月、中国地方の大名であった毛利氏の重臣である、吉川経家が鳥取城主となった時に起こりました。
羽柴秀吉が大軍で兵糧攻めを行う
織田信長の天下統一の目的のため、中国地方の攻略を担当していた羽柴(後の豊臣)秀吉は、吉川経家が城主となり、周辺の有力武士の結束が強まったことを受けて、2度目の鳥取城攻撃をすることとなりました。