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山形城は日本百名城にも挙げられる奥羽最大の城
1357年に築城された山形城は、奥羽最大級の城です。城郭は日本で5番目の広さを誇り、国の史跡に指定されていて、日本百名城に選ばれている程の名城です。山形に旅行するのならアクセスも容易なので、是非立ち寄って頂きたい見どころいっぱいの名所です。
最上家の前身である斯波兼頼が山形に入り築城され、山形城は生まれました。しかしその頃の山形城は、奥羽最大と呼ばれるほどの広さはありませんでした。奥羽最大にしたのは第11代城主最上義光です。
最上家第11代城主にして、初代山形藩主となった最上義光が改築し、城郭を奥羽最大規模の巨大な城にします。しかし、最上義光が作った山形城は土で出来ていました。今現在の石垣塀の山形城に改築したのは、最上家の後に山形藩主となった、鳥居忠政でした。
しかし、山形城改築において、鳥居忠政の名前はほとんど扱われていません。名前が全面に出るのは、やはり最上義光です。それほど山形を大きく発展させ、民の為の政策を多く実施した最上義光は絶大な人気を誇っているのです。
最上義光が城主になると、城郭が拡大され、家臣団の屋敷も置かれるようになり、日本百名城に選ばれる程の、かくも壮大な山形城に生まれ変わったのです。
山形城の城跡は「霞城公園」に
現在、山形城の二の丸にあたる内郭は霞城公園となっており、国の史跡に指定されています。霞城公園は桜の名所としても名高い公園で、春になるとソメイヨシノが咲き誇ります。満開の桜は見どころの1つです。
公園内には、野球場や弓道場、博物館や郷土館もあります。東大手門外には、美術館や山形城を壮大な城にした人物、最上義光の歴史館など、多くの施設があり、山形城の歴史を垣間見る事が出来ます。
山形城が「霞城」「霞ケ城」と呼ばれるのはなぜ?
山形城は別名「霞城」や「霞ヶ城」と呼ばれています。これは、関ヶ原の合戦において発生した慶長出羽合戦にて、最激戦となった長谷堂城の戦いでの上杉軍の直江兼続が関係しているとされています。
北の関ケ原とも言われた、慶長出羽合戦の最中、直江兼続は富神山の麓から山形城を眺めたが、霞がかかって10日感の間、山形城を見ることができなかった事から「霞城」と言われるようになりました。