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日本三名城の一つ「熊本城」は何度見ても見ごたえあり
熊本城は、日本三名城の一つに数えられるほどの有名な城です。城自体の迫力が他と比べて圧倒的で、見ごたえのある重厚感のある造りが見所です。
熊本県の中でももっとも有名な観光スポットになっていて、常に多くの観光客が詰めかけています。周囲の学校の授業などで見学をしている学生の集団を見かけることも多いです。
今回は、魅力あふれる熊本城を紹介していきます。熊本城に関する歴史、城の構成要素ごとの特徴、関連して開催されるイベントについてなど、幅広い観点から解説をします。ぜひ観光の際に参考にしてみてください。
波乱に満ち華やかさもある「熊本城の歴史」
熊本城は、1607年に当時の最新の技術をもって建築された城です。茶臼山と呼ばれた丘陵地に建てられた城で、日本の歴史において重要な意義を持つ城となっています。
歴史上の重要人物がたくさん関わってきた城で、歴史ファンの間でも話題に上ることが多いです。たとえば、「五輪書」の著者であり、日本でも有数の剣豪として知られる宮本武蔵が晩年を過ごした城という事実があります。
また、明治維新後の西南戦争においては、政府軍の拠点として活用されます。谷干城率いる政府軍の籠城場所となり、激しい戦闘が繰り広げられました。谷干城の功績をたたえる銅像が熊本城内に建築されています。
熊本城の築城主と城主
熊本城を築城したのは、加藤清正という戦国武将だったとされています。加藤清正は尾張出身の武将で、豊臣秀吉とも関連の深い歴史上の重要人物です。当時の最先端技術を駆使して築城された熊本城は、難攻不落の名城として異彩を放っていました。
熊本城主は、加藤家が二代務めた後、豊前小倉城の城主であった細川忠利が務めることになります。武芸に造詣が深く、剣豪宮本武蔵を招いたのは他ならない細川忠利だったといわれています。
江戸幕府からの信頼も厚く、外様大名でありながら中枢の活動にかかわることも多かったことから、信頼のおける人柄が想像できます。
住所 | 熊本県熊本市中央区本丸1-1 |
電話番号 | - |