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大徳寺ってどんなところ?
大徳寺は鎌倉時代に大燈国史が開創しましたが、室町時代に応仁の乱で焼失しました。後土御門天皇から命を受けて大徳寺を復興させたのは一休さんこと一休宗純で、豊臣秀吉も大徳寺の復旧に寄付をしました。大徳寺は重要文化財や国宝が並んでおり、見学できる場所に制限があります。
大徳寺で桃山時代に織田信長の葬儀を行ったのは豊臣秀吉です。秀吉は信長の冥福のため総見院を建て、領地を寄付しました。領地が寄付されたことを知った戦国武将達が大徳寺に塔頭(たっちゅう)を次々に建て始め、大徳寺はとても栄えたそうです。
京都にある大徳寺派の大本山
大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山で、塔頭(たっちゅう)と呼ばれるお寺が敷地内に20ヶ所以上建っています。大徳寺の敷地は広くなっていますので、訪れるときは時間に余裕を持って行きましょう。大徳寺をゆっくり回れば、日本の文化に触れることができます。
大徳寺の広い敷地は、日本最大の禅寺としても知られています。歴史ある大徳寺ですが、20ヶ所以上ある塔頭の中で、公開されているのは龍源院・瑞峰院・大仙院・高桐院の4つだけです。通常拝観でも散策を楽しめますが、期間限定の特別拝観では大徳寺の歴史に触れられます。
一休さんや千利休の話が有名
一休さんこと一休宗純は、後土御門天皇から命を受けて大徳寺に就任しました。しかし一休宗純は、寺に入ったその日のうちに辞退して大阪に旅立っています。アニメでは誠実な一休さんですが、本物の一休宗純は型破りなお坊さんだったようです。
茶人で有名な千利休は大徳寺の三門の2階部分に金毛閣を作り、雪駄を履いた自分の像を安置しました。豊臣秀吉を招き入れたところ、秀吉は股下をくぐらせる気かと怒り出し、千利休に切腹を言い渡します。2か月後、千利休は切腹して亡くなってしまいました。
一休宗純や千利休についてもっと詳しく知りたい方は、大徳寺の特別拝観がおすすめです。特別拝観では、千利休の茶室の公開もしています。
大徳寺の特別拝観
大徳寺の特別拝観では重要文化財の見学ができます。大徳寺の特別拝観では「興臨院」「総見院」「黄梅院」を見て回れます。それぞれ公開時期が異なりますので、スケジュールを確認してから拝観に行くようにしましょう。特別拝観では日常ではない特別な時間を過ごせます。
京都は紅葉狩りの時期になるとどこも混み合います。11月の特別拝観では、大徳寺の庭で紅葉を見られるので人気を集めています。大徳寺の特別拝観では喧騒から離れてゆっくり紅葉を楽しめます。いつもと違った京都の大徳寺の特別拝観は一見の価値があります。