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浅草寺の歴史は2人の漁師から
日本でも有数の観光地の一つであり、外国からの観光客も多い浅草寺ですが、その歴史は今から1400年前にも遡ることをご存知でしょうか。
都内最古の歴史を誇るここ浅草寺での、ご利益アップにつながる参拝方法や御朱印の頂き方、アクセス方法などをご紹介していきます。
628年(推古天皇の時代)、現在の隅田川で漁師をしていた二人の兄弟である「檜前浜成(ひのくまのはまなり)」、「檜前竹成(ひのくまのたけなり)」が漁をした網の中から一体の仏像が出てきたところから浅草寺の歴史は始まります。
一旦は仏像を川に戻した浜成と竹成の兄弟でしたが、その後、川に何度網を打っても仏像が入っているので、その仏像を土地の長である「土師中知(はじのなかとも)」に見てもらうと、「聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)」という仏像だと言うことが分かりました。
その翌朝には子ども達が草で作ったお堂に観音さまをお祀りし、土師中知は「お名前を称えて一心に願い事をすれば、必ず功徳をお授けくださる仏さまである」と浜成・竹成兄弟や近隣の人々に説いたそうです。
その後土師中知は自らの家を寺にして、観音さまをお祀りしました。これが都内最古の歴史を持つと言われる浅草寺の始まりです。
各時代の名だたる武将も浅草寺を信仰
平安時代には、関東では他に類を見ない霊場になっていた浅草寺ですが、その頃の武将、平公雅が武蔵の国の国守を祈願し、願いがかなったという逸話が残っています。平公雅はそのご利益に感謝をこめ、七堂伽藍を建立しました。
浅草寺は1079年に原因不明の火災で炎上してしまいますが、御本尊が自ら本堂の西の榎の木に避難し、難を逃れたという故事が伝わっています。
この70年後、この霊験(ご利益)を聞いた源義朝はその榎の木で作った観音さまを浅草寺に奉納したという言い伝えが残っており、その義朝の子である源頼朝も観音さまを信仰していました。