日本最古の飛鳥大仏を見よう!飛鳥寺までのアクセスや歴史もご紹介

日本最古の飛鳥大仏を見よう!飛鳥寺までのアクセスや歴史もご紹介

飛鳥大仏が1400年も前に造られた日本最古の大仏という事をご存じでしょうか?大仏といえば、修学旅行で訪れた方も多い東大寺の奈良大仏や日本一大きな茨城県の牛久大仏が有名です。そこで、今回はあまり知られていない飛鳥大仏の魅力や造像の歴史、アクセス等をご紹介します。

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記事の目次

  1. 1.奈良にある飛鳥大仏とは?
  2. 2.同じ場所に座り続ける飛鳥大仏の歴史
  3. 3.飛鳥大仏のある飛鳥寺の歴史
  4. 4.飛鳥大仏のある飛鳥寺の御朱印情報
  5. 5.飛鳥大仏のある飛鳥寺の基本情報
  6. 6.日本最古の飛鳥大仏を見に飛鳥寺へ出かけよう!

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奈良にある飛鳥大仏とは?

Photo by tsuda

飛鳥大仏は、奈良県高市郡明日香村にある飛鳥寺で、その姿を拝むことができます。本来は釈迦如来像のことで、通称で飛鳥大仏と呼ばれています。飛鳥寺の本尊仏なので、お寺で一番メインの仏像という事になります。

大仏の中でも高さが2.75ⅿと小さな部類ですが、近づくと圧巻の迫力です。アーモンド形の目と他の仏像に比べ面長なのが特徴で、見る角度によって違った表情を見せると言われている、何とも不思議な仏像です。人生で一度は、そのご尊顔を見ていただきたいです。

飛鳥大仏は、日本最古の大仏です。遥か昔、誰によって、またどういった経緯で造られることになったのでしょうか?飛鳥大仏の歴史の始まりである飛鳥時代に注目していきます。

1400年の時を越える日本最古の仏像

Photo by _Yuki_K_

飛鳥大仏は、古墳時代から飛鳥時代に勢力のあった一族の蘇我氏の蘇我馬子(そがのうまこ)が、自身の所有する寺であった奈良の飛鳥寺に釈迦如来像の造像を発案し、造り出されました。「元興寺縁起」という書物によると、西暦609年に造像されたと記されています。

飛鳥大仏を造ったのは仏師の鞍作鳥(くらつくりのとり)という人物です。蘇我馬子の命によって造像した、当時の創作分野の代表的なアーティストになります。鞍作鳥は他にも、奈良県の法隆寺金色堂本尊釈迦三尊像も西暦623年に手掛けています。

Photo by くーさん

こうして、奈良の飛鳥寺で蘇我馬子と鞍作鳥によって造られた飛鳥大仏は、現在までも凛とした表情で鎮座し続け、一番長い歴史のある日本最古の大仏となりました。

しかし、飛鳥大仏は1400年の間、ただその場に安置されていただけではありませんでした。飛鳥大仏を取り巻く時代背景や変遷を見ていきましょう。

同じ場所に座り続ける飛鳥大仏の歴史

Photo byannca

『日本書紀』に多くの記述がある飛鳥寺は、当時の飛鳥の中心的な存在でした。飛鳥寺の西にあったとされる広場は、蹴鞠(けまり)の会で中大兄皇子(なかのおおえのみこ)と中臣鎌子(なかとみのかまこ)が運命的な出会いをする場所として登場します。

中大兄皇子と中臣鎌子は、645年に起こった大化の改新の中心的な人物です。そんな運命的な出会いを見守った飛鳥大仏は、目まぐるしく世の中が変わってゆく中で、一度も動くことがなかったのでしょうか?

1973年に、奈良国立文化財研究所が調査を行いましたが、大仏と大仏を乗せた台座は一度も動いていないことが明らかになっています。

Photo by Tamago Moffle

飛鳥寺本尊の飛鳥大仏は、そんな人々の喜怒哀楽を見守りながら1400年以上の長い長い歳月を経て、いかなる時も同じ場所に鎮座し、現在もたくさんの人が参拝しています。次は、飛鳥大仏の外観とその変化について説明していきます。

つくられた当時は輝いていた?

Photo by41330

飛鳥大仏作者の鞍作鳥は、銅15トン、金30キロを使って造像したそうなので、当時は思わず目を覆い隠すほどキラキラと輝いていたことでしょう。それほどまでに大量の金や銅にアクセスできたことからも、当時の蘇我氏は隆盛を極めていたことがうかがえます。

時の流れを経て、造像当初に比べるとかなり姿も変わったようです。現在はというと、銅の深い黒色が印象的で荘厳な雰囲気を放っています。

かつての輝きは失せても、長い歴史を感じさせ、これもまた味わいがあります。実際にアクセスできる方は、近づいてよく見てみてください。ところどころ色味が微妙に違い、つぎはぎになっている印象を受けるでしょう。

Photo by41330

ただ時の流れと共に風化したようには思えない飛鳥大仏に、いったい何が起こったのでしょうか?その理由は、実際にあった事件や研究チームの調査によって明らかになりました。次のパートは、飛鳥大仏に起こった悲劇と人々との関わりについて触れていきます。

修復により現存する飛鳥大仏

Photo bysethink

飛鳥寺は鎌倉時代に雷が落ち、その時飛鳥大仏も火災の被害を受けました。1933年、石田茂作という人物が初の調査を行ったところ、表面を研磨して修繕した跡が見つかり、頭の半分、左耳、右手部分が燃えて変形していたことがわかりました。

その後も1973年に奈良国立文化財研究所が、最近ですと、2012年に早稲田大学の研究チームが、2015年には大阪大学の研究チームが飛鳥大仏を調査しました。脚部には表面上に粘土でコーティングされた部分や、左手に木材で埋め合わされた部分も発見されています。

また、飛鳥大仏の各所に亀裂あり、亀裂の上から紙を貼り、黒く塗られている部分も見つかりました。そうして事細かに研究を進めた結果、面白いことが判明しました。

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1400年前に造られた飛鳥大仏の大半部分はほとんど残っており、大仏を一から造り直した痕跡はどこにもないことがわかったのです。正真正銘、飛鳥大仏は建立当初から今に至るまで、雨の日も風の日もその場に鎮座し続けていたのです。

ぼろぼろになりながらも、顔色一つ変えることなく鎮座し続けた飛鳥大仏の賢明な姿に心を打たれます。当時の人々も、その姿を大切に思い、頭から脚の細部にいたるまで細かな修繕を施したのかもしれません。

Photo byambroo

王道の奈良大仏や天高くそびえ立つ牛久大仏と比べると、飛鳥大仏は身近に感じ、愛着さえ湧いてきます。悪役に何度打ちのめされても立ち上がるヒーロー像に似た印象といったところでしょうか?

1400年もの長い間、たくさんの人がつなげてきた感謝の気持ちが、現在まで飛鳥大仏を生かしていると言っても過言ではありません。歴史を知れば知るほど、素人目にも感じる飛鳥大仏の黒色の風情は、より荘厳で深いものになります。

飛鳥大仏のある飛鳥寺の歴史

Photo bytruthseeker08

飛鳥寺は、西暦594年、仏教の信仰を進めていた蘇我馬子によって建立された大きな寺院です。飛鳥寺を三つの金色堂が囲んでおり、法興寺や元興寺とも言います。現在は、飛鳥大仏が鎮座している「安居院」が残ったことから「安居院」とも呼ばれています。

飛鳥寺の西側には、五輪塔と呼ばれる蘇我入鹿のお墓がそびえ立っています。明日香村ののどかな風景に包まれている自然豊かな所にある寺院で、春になると境内には桜が咲き誇ります。

Photo bytaketoki

当時は、海外との文化交換も盛んに行われていて、飛鳥寺周辺は、文化の最先端にアクセスできる貴重な場所でした。

仏教や蘇我氏の影響もありましたが、飛鳥寺や寺院西側の広場は『日本書紀』に幾度となく登場しました。それほど飛鳥寺は重要な場所であり、まさに飛鳥時代の日本の中心だったという事がうかがえます。

日本で最初につくられた本格的な寺院

Photo by inunami

飛鳥寺は、日本で初めて造られた日本最古の本格的な大きな寺院です。塔や金色堂、講堂、鐘楼など、僧侶が修行するために建物をたてる伽藍配置を取り入れたのも日本初です。飛鳥寺ができたことで、京都や奈良に大きな寺院が建立されていきました。

飛鳥時代に、日本の中心的な場所だったことから、飛鳥寺周辺には、当時最先端だった建築技術を使った宮殿や古墳が多く存在しています。最近では、高松塚古墳が話題になり、明日香村の文化や風景が注目されました。

明日香村には飛鳥文化を知ることのできる観光スポットが多く、その中でも、特に飛鳥寺は飛鳥時代の代表的なシンボルということで、現在でも多くの観光客が訪れています。

現在の本堂は江戸時代に再建されたもの

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飛鳥寺は、鎌倉時代に落雷で火災が起き、飛鳥大仏や寺院の大半が焼け崩れてしまいました。蘇我氏が衰退したこともあり、かなり長い期間、手が付けられず廃れていました。ようやく1823年になり、中心の金色堂があった場所に、現在の本堂にあたる建物が再建されました。

本堂が建つ前には、1745年、本堂の隣に鐘楼が建立されたそうですが、何とも珍しい事に、鐘がなかったそうです。1941年に現在の場所に移設しても鐘はなく、17年後の1958年になってからようやく鐘が付けられたそうです。

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飛鳥大仏は、1940年に一度国宝に指定されましたが、1950年に国宝の見直しが行われ、国の重要文化財に指定されました。日本最古の大仏であるにも関わらず国宝に指定されないのは、火災に遭い、何度も修繕しているという背景が原因にあるようです。

飛鳥大仏のある飛鳥寺の御朱印情報

Photo by h_okumura

仏像や寺院が大好きな人にとっての楽しみの一つといえば、御朱印集めです。古くは、半紙に朱で押印してもらうため「御朱印」と呼ばれていました。書道を心得ているご住職が書く風情ある文字は、実に美しく、より一層参拝のありがたさを感じます。

最近では、いろいろなお寺をお参りして御朱印を集める女性の方が多いため、そのような人の事を「御朱印ガール」と呼ぶ風潮ができたほどです。全国各地にあるいろいろなお寺を訪れた際、御朱印をもらうのは御朱印ガールにとっては一大イベントです。

日本最古の大仏が安置されている、日本最古のお寺の御朱印となれば、興奮も抑えきれないはずです。長い歴史がある飛鳥寺の御朱印のデザインや拝受時のマナーなどご紹介します。

歴史深い飛鳥寺の御朱印は3種類!

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飛鳥寺の御朱印は全部で3タイプ用意してあります。一般的にもらえる御朱印には、本堂の飛鳥大仏を意味する「飛鳥大佛」と書いてあります。御朱印の中ではシンプルなデザインですが、大仏を表現したかのように大変力強く、かっこいい御朱印です。

2つ目の御朱印は、聖徳太子御遺跡霊場第11番札所で書いてもらえる御朱印「止利佛師丈六釈迦」です。上でも述べた、飛鳥時代の有名な仏師の鞍作止利(鞍作鳥とも表記)は、止利仏師(とりぶっし)ともいわれています。飛鳥寺の大仏を造った仏師です。

Photo byHeungSoon

止利仏師が造った飛鳥大仏を意味するため、そこから「止利佛師丈六釈迦」が墨書きされました。3つ目の御朱印は、御詠歌で「うきことの 消ゆるもけふか飛鳥寺 末やすかれと祈る身なれば」と書いている御朱印があります。

お参りの後寺務所で拝受しよう

Photo by taitiro1987

そもそも御朱印とは、写経を奉納し、寺院に参拝した証としていただくものでした。お寺に行ってすぐに拝受しに行くのではなく、お参りしてから書いてもらうのがマナーです。他の参拝客やお寺のご住職に迷惑をかける事がないよう注意しましょう。

飛鳥寺の、3タイプの御朱印は、寺院内の寺務所で書いてもらえます。お布施の料金は、1つ300円です。しかし、元来はあくまで「気持ち」として納めるものなので上限はありません。このため、お釣りを返してもらうのは寺院に対して失礼な行為にあたります。

Photo by nubobo

御朱印を拝受するときはきっちりと小銭を準備して、お釣りが出ないよう心掛けましょう。寺務所は早くに閉めていることも多く、夕方以降は拝受できない可能性がありますのでご注意ください。

飛鳥大仏のある飛鳥寺の基本情報

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日本最古の寺院である飛鳥寺は、現在、塔(五重塔)がなく、塔跡に碑があり、その北には中金堂、塔の東西に東金堂、西金堂が建つ、一塔三金堂式伽藍配置というタイプの伽藍配置がされています。本堂の中金堂には、高さ2.75メートルの飛鳥大仏があります。

鎌倉時代の1196年に落雷の被害を受け、寺院の大半が焼失したものの、1825年に本堂を再建をするなど、長い時間をかけて修繕されている歴史の長い寺院です。1940年に国宝に選ばれましたが、1950年に国宝の見直しにより国の重要文化財に指定され直しました。

Photo by Tamago Moffle

飛鳥寺の御朱印は、他の寺院にはない3つの御朱印があり、どれも拝受することができます。寺院内には桜の木が植えられている他、明日香村ののどかな緑を感じられることもあり、大変豊かな自然の中にある寺院のひとつであると言えます。

現在、飛鳥寺では、飛鳥寺や飛鳥時代の歴史を学ぶための研修会を研修会館「修徳坊」にて行っており、10名から予約が可能です。また、写経を持ち帰ることもでき、般若心経をいただく際の奉納料は1000円です。

拝観時間と拝観料

Photo bynattanan23

拝観時間は、午前9時から午後5時30分(10月から3月のみ午後5時)までです。拝観料は、個人の場合、大人・大学生は350円、高校生・中学生は250円、小学生は200円です。30名以上の団体なら、大人・大学生が320円、高校性・中学生が220円、小学生が170円です。

障害者の方は、大人・大学生が170円、高校生・中学生が120円、小学生が100円です。車いす等の貸し出しは行っておりませんので、アクセスする際はご注意ください。

飛鳥寺へのアクセス

フリー写真素材ぱくたそ

飛鳥寺へのアクセスをご紹介します。電車でアクセスする場合は、近畿日本鉄道の橿原神宮前駅が最寄りの駅となります。駅から飛鳥寺までは徒歩で30分以上かかりアクセスしづらいため、東口から飛鳥周遊バスに乗り、「飛鳥大仏前」で下車し徒歩1分です。

車でアクセスする場合は、南阪奈自動車道の葛城ICで降り、国道26号線から国道169号線へ行き、そこから県道124号線に沿って国営飛鳥歴史公園を目指します。T字路で右折し、飛鳥北簡易郵便局の先の道を右折すると、飛鳥寺の駐車場です。葛城ICから約30分ほどかかります。

住所 奈良県高市郡明日香村飛鳥682
電話番号 0744-54-2126

日本最古の飛鳥大仏を見に飛鳥寺へ出かけよう!

Photo by The Wanderer @ Japan

いかがでしたでしょうか?今回は、奈良県の飛鳥寺にある飛鳥大仏の歴史や現状、アクセスについてご紹介しました。それとともに飛鳥寺の御朱印の情報や周辺の文化についても触れました。

ぜひこの記事を参考に、飛鳥寺を訪れて御朱印を拝受したり、1400年の歴史を感じながら手を合わせたりし、日本最古の空気を堪能してみてください。

kaiser 114514
ライター

kaiser 114514

埼玉県出身。アウトドアに興味があります。ソロキャンプデビューするべく準備中!

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