高知城で歴史スポットを巡る見どころを紹介!本丸と天守の両方あるのはここだけ?

高知城で歴史スポットを巡る見どころを紹介!本丸と天守の両方あるのはここだけ?

現在高知公園となっている高知城は、かつて土佐国(現在の高知県)を治めた山内氏の居城で、その天守は現存12天守に数えられる貴重な文化財です。今回は高知城の建造物とその特徴や高知城の歴史、高知城周辺の博物館や魅力的な観光スポットをご紹介したいと思います。

    記事の目次

    1. 1.高知城の歴史
    2. 2.現存12天守のひとつ高知城の特徴
    3. 3.高知城の見どころはこちら!
    4. 4.高知公園としてその姿を残す高知城
    5. 5.高知城周辺の観光スポット
    6. 6.高知城へのアクセス
    7. 7.高知城で歴史を体感しよう!

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    高知城の歴史

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    高知城は高知市の大高坂山の上に築かれたお城です。土佐藩の初代藩主の山内一豊と二代藩主忠義が、二代がかりで完成させました。

    高知城は地形による城の分類では、平山城(ひらやまじろ)に分類されます。平野の中にある山や丘陵に築かれる城のことで、高知城が築かれた大高坂山も高知平野の中心に存在します。

    平山城は防御施設としての特徴と、政治と経済の中心としての特徴を持ち、世の中が平和になり始めた戦国時代末期から江戸時代にかけて多く築城されました。高知城も土佐藩の政庁として、江戸時代を通じて土佐(現在の高知県)の政治経済の中心的役割を果しました。

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    高知城が築かれた大高坂山には、長い歴史の中で何度も城が築かれました。最初に歴史に登場するのは、南北朝時代(14世紀)に築かれた大高山城という名前の城で、大高坂氏が居城としていたとする記録が残っています。

    この大高山城は戦乱により落城し、一旦歴史から姿を消すことになります。次に城が築かれたのは安土桃山時代です。その当時、土佐を治めていた長宗我部が大高坂山に城を築いて本拠としようとしましたが、水はけの悪さなど治水の問題により断念、城は放棄されました。

    その後、長宗我部氏は桂浜近くの浦戸城に移り、そこを本拠地としました。ところが、関ヶ原の戦いの結果、長宗我部氏が改易(お家取り潰し)となってしまいます。

    Photo by JeromeZhan

    長宗我部氏の後は、掛川城の山内氏が土佐に移り当地を治めることになりました。一旦は浦戸城を拠点とした山内氏ですが、浦戸は土地が狭く城下町を開くのに向いていなかったこともあり、新たに城を築く必要に迫られました。

    そこで目をつけたのが、高知平野の中心にある大高坂山でした。この土地は長宗我部が築城を断念せねばならなかったほど治水の難しい土地でしたが、優れた築城技術をもった家臣を召抱えていた山内氏は、着工した1601年から2年後の1603年には本丸を完成させました。

    当初この城は河中山城(こうちやまじょう)と名づけられましたが、度重なる水害に遭ったことから、河中の字を高智に変更し高智山城となり、後に省略され高知城となりました。

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    三の丸が竣工して、城全体が完成したのは本丸完成から更に8年後の1611年です。既に初代藩主の山内一豊は1605年に没しており、二代藩主の山内忠義の時代のことです。

    その後、1727年には高知城下で大火災が発生して、高知城も追手門を残してほとんどの建造物が焼失してしまいました。再建には実に30年近い年月がかかり、完全に復興を遂げたのは1753年のことでした。現在残っている、建造物の大半はこの時に再建されたものです。

    明治維新を経て、高知城は政庁としての役割を終え、明治6年の廃城令により高知公園となりました。高知大空襲により被害を受けましたが、天守閣など多数の建築物が現存していて、歴史の息吹を今日に伝えています。

    初代土佐藩主・山内一豊とは

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    ここでは、高知城を築城した山内一豊とはどのような人物であるかについて触れていきましょう。山内一豊は尾張国岩倉(現在の愛知県岩倉市)の出身で、生年は1545年とも1546年とも言われています。

    山内家は岩倉織田氏(織田信長とは同族だが別の家)に家老として仕えていましたが、主家が滅亡した為、一族離散の憂き目に遭います。一豊自身も主家を転々としましたが、1568年から信長の家臣である、木下秀吉(後の豊臣秀吉)に仕えることになります。

    その後、秀吉の配下として数々の戦いで手柄を上げ、小田原征伐が終わり天下が統一される頃には、掛川城主となり、5万1000石を領する大名となっています。

    Photo by shishamo72

    更に、1600年の関ヶ原の戦いの際には東軍として参加しました。関東から上方へ向かう徳川家康に対して、誰よりも早く居城の掛川城の提供を申し出て家康の信頼を勝ち取りました。

    関ヶ原の戦いの前哨戦では他の大名と共同で、岐阜城主の織田秀信(信長の孫)を破るなどの功績をあげ、戦後には土佐一国を治める国持大名に出世しました。そして、一豊が土佐を統治する拠点として築城したのが、今回ご紹介する高知城です。

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    また、山内一豊を語る上で無視できないのは、大河ドラマの題材にもなった妻、見性院(本名は千代あるいはまつ)の存在です。見性院には、内助の功の逸話がいくつも残っていて、良妻賢母の鑑と言われています。

    内助の功の逸話として特に有名なのは、織田信長の馬揃え(軍事パレード)が行われる際に一豊が欲しがっていた名馬を、見性院の私有財産から10両(現在の価値で250万円ほど)を出して買い与えたエピソードがあります。

    その甲斐あって一豊はこの馬揃えで信長の目に留まり、見事、出世を果して大名への道を駆け上がっていくことになります。

    Photo by ajari

    こうして、夫婦二人三脚で土佐藩主にまで上り詰めましたが、一豊は高知城の完成を見ることなく1605年に亡くなります。二人の間に男子はなく、一人娘も早世していて、高知城を完成させた二代藩主の忠義は、養子で一豊の弟の子に当たる人物です。

    見性院は一豊の死後はその菩提を弔いながら、京都で暮らしました。大坂の陣により豊臣家が滅び、徳川の時代となった2年後の1617年に亡くなっています。

    多くの偉人を輩出した土佐藩

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    幕末、明治維新の際には薩長土肥の一角を占めた土佐藩は、亀山社中(後の海援隊)を設立し、明治維新の原動力となった、薩長同盟の成立に重要な役割を果した言われる坂本龍馬をはじめ、歴史の舞台で活躍した、数々の偉人傑物を輩出しています。

    自由民権運動で知られる板垣退助も、土佐藩出身の人物です。土佐藩兵を率いて戊辰戦争を戦い、維新後は明治政府で要職を歴任しましたが、征韓論をめぐって岩倉具視らと対立し下野、自由民権運動に身を投じました。

    1890年に帝国議会が開かれると自由党を組織しました。この自由党は現在の自由民主党の源流とも言うべき政党であり、板垣は日本の政党政治の基礎を築いた立役者の一人と言えます。

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    また、三菱グループの前身、三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎も土佐出身です。地下浪人という貧しく低い身分の武士の家に生まれでしたが、後に土佐藩の参政(家老)となる吉田東洋やその甥の後藤象二郎らに目をかけられ、藩の下級役人として取り立てられました。

    幕末から明治維新にかけて主に土佐藩の商務組織で力を発揮した弥太郎は、維新後は実業家に転進し、土佐藩から九十九商会の経営を任されます。これが後の三菱財閥の前身です。

    三菱財閥は明治政府とともに成長を続け、戦後の財閥解体により財閥としては終焉を迎えましたが、個々の企業は生き残り、現在も巨大な企業グループを形成し日本経済の発展を支え続けています。

    現存12天守のひとつ高知城の特徴

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    高知城の天守は現存12天守のひとつに数えられる、貴重な文化財です。現存12天守とは江戸時代以前から現存する12の天守のことで、高知城の他には、青森の弘前城、長野の松本城、福井の丸岡城、愛知の犬山城、滋賀の彦根城があります。

    兵庫の姫路城、島根の松江城、岡山の備中松山城、香川の丸亀城、愛媛の伊予松山城と宇和島城があり、いずれも国宝または国の重要文化財に指定されていて、高知城の天守も他の建造物とあわせて1950年に国の重要文化財となっています。

    なお、高知城の天守は四重六階(内部は三層)で、外観の特徴は当時としてもやや古風なものとなっていますが、これは一豊の前任地の掛川城の天守を模したためと言われています。

    本丸と天守が現存しているのは高知城だけ

    Photo by mikenekomimi

    日本の城は城郭という言葉がある通り、郭(くるわ、曲輪とも書きます)と呼ばれる複数の区画で構成されています。外側から三の丸、二の丸などの名前がつけられた曲輪があり、本丸は城の中核となる区画で、天守や御殿などが建てられています。

    お城イコール天守と思われがちですが、これらの曲輪の構成や御殿や櫓、門、石垣などお城によって特徴が異なるので、それらのスポットもお城見学の見どころの一つです。

    高知城は天守が現存する12の城の中でも、本丸が当時のまま完全な形で残っている、唯一のお城ですので、天守だけでなく、本丸御殿をはじめとした各建造物にも注目してください。ほとんどの建造物が重要文化財に指定されていますので、見どころ満載です。

    高知城の追手門前は絶好の撮影ポイント!

    Photo by misijp

    追手門とは大手門と書かれることもある、そのお城の正門にあたるスポットです。お城のある街には、大手や追手という言葉のつく地名がありますが、それらは大手門や追手門に由来することが多いです。高知城の追手門に隣接した地域にも追手筋という地名がついています。

    高知城の追手門は、石垣の間に防御施設である門櫓を渡した、渡り型の櫓門です。この形の門は大坂城や江戸城など名だたる名城でも採用されています。

    高知城の追手門前からは、追手門と天守が一つの写真におさめることができますので、高知城の写真を撮るなら、追手門前がおすすめの撮影スポットです。

    高知城の見どころはこちら!

    Photo by x768

    高知城には天守をはじめ、歴史的な建造物がたくさんあります。本丸が完全な形で現存していることなどは先ほどご紹介した通りですが、二の丸、三の丸に見どころがたくさんあります。ここではそんな高知城の見どころをご紹介したいと思います。

    江戸の歴史を伝える重要文化財がズラリ

    Photo by k14

    高知城には「天守」や「本丸御殿」など実に15棟もの建造物が、歴史的な価値が高いとされ、国の重要文化財に指定されています。ここではそれらの建造物をご紹介します。

    最初の見どころは高知城の正門である、「追手門」です。こちらは先ほども簡単に触れましたが、石垣の上に櫓を渡した櫓門です。一国の政庁の正門らしい堂々たる風格があります。この追手門は築城当時のもので、高知城の中でも最も歴史のある建築物です。

    次の見どころは本丸と二の丸をつなぐ「詰門(つめもん)」も重要文化財の一つです。この門も櫓門で階上には四室の畳敷きの部屋があり、階下は本丸への通路と塩倉になっています。

    Photo by x768

    詰門を進んだ先にある本丸への入り口「廊下門」も見どころの一つです。この廊下門は本丸よりも一段低くなっており、地下門という形になっています。廊下門の東西には「東多聞」と「西多聞」という一層櫓が配置されています。これらも重要文化財です。

    本丸には天守や本丸御殿の他にも、調度器具を保管した「納戸蔵(なんどくら)」や「黒鉄門」があり、これらも重要文化財にしていされています。他にも天守や黒鉄門、追手門の付近に配置されている計6か所の「矢狭間塀」が、重要文化財に指定されています。

    随所にこだわった高知城の天守

    Photo by Siegfy

    天守とは元々、書院造の手法を応用して造られた巨大な櫓でした。初期の天守としてとくに有名なのは安土城の天主です。安土城は天主と書きますが、他にも殿守、殿主と書く場合もありました。ちなみによく使われる天主閣という言葉は俗称で正式には使われません。

    また、天守には大きく分けて2種類の型式があります、旧式の望楼型と新式の層塔型です。高知城の天守は前者の望楼型に分類されます。築城当時はすでに層塔型の天守が現れていましたが、初代藩主の山内一豊が前任地の掛川城を模して造ったため旧式の望楼型となっています。

    最初の天守が火災で焼失して再建した際も、新式の層塔型ではなく、焼失前の望楼型天守を忠実に再現しました。したがって、現在見られる天守の形は創建当時と同じものと言えます。

    Photo by takeshi.kakeda

    高知城の天守の特徴は何と言っても、最上階に儲けられた縁側と欄干、廻縁高欄(まわりえんこうらん)です。これは掛川城にも見られる特徴で、一豊が徳川家康から特に許可を得て設置したものだそうです。

    廻縁高欄を有する現存天守は四国では、この高知城のみで、全国に目を向けても犬山城にあるのみです。天守に登って廻縁に立つこともできますので、歴史を感じながら高知の街を見下ろしてみてはいかがでしょうか?

    Photo by Maarten1979

    また、天守につきものといえば屋根に飾られた鯱(しゃちほこ)です。陶器や銅版張木造のものが多いですが、高知城の鯱は青銅製という特徴があります。鯱は鬼瓦などと同様に建物の守り神とされ、火災などからその建物を守る役割を持つと言われています。

    高知城天守の鯱は最上階と廻縁高欄のすぐ下の屋根に2基ずつ設置されていますので、下の方の鯱は廻縁からじっくりと眺めることができます。

    ちなみに鯱とは同じ字のシャチとは別物で、想像上の魚です。魚虎とも書き、体は魚で頭は虎、尾ひれは天を向き、背中には鋭いとげが何本も生えているという特徴を持ちます。

    本丸御殿の美しい装飾もぜひ見ておきたい

    Photo by x768

    懐徳館(かいとくかん)と名付けられた、高知城の本丸御殿は藩主の政務を執り行う場所の一つで、主に正式な対面の場として使用されました。ちなみに藩主が普段住んでいたのは、二の丸御殿です。

    ある意味天守よりも重要なスポットであるため、館内には美しい装飾が施されています。入り口から四ノ間、三ノ間、二ノ間と続き、藩主の御座所、上段ノ間に至ります。これらの部屋は格式ごとに装飾の特徴がことなりますので、その違いを見るのも興味深いです。

    Photo by x768

    なお、本丸御殿は天守に隣接していて、天守へはこの本丸御殿を通って入る必要があります。

    現在は山内家ゆかりの品々や土佐の偉人のパネル、歴史資料などを展示する博物館になっていますので、幕末維新時代や坂本竜馬のファンの人には必見のスポットとなっています。

    入場料は天守や東多聞、廊下門とあわせて、420円(18歳未満は無料)となっています。20名以上の団体割引があります。開館時間は9:00~17:00となっています。

    高知公園としてその姿を残す高知城

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    高知公園は高知城を中心に形成された歴史公園です。高知城址がまるごとおさまった公園で、観光客や市民で常に賑わいをみせています。

    公園内でも高知城の本丸や二の丸は特に人が多いスポットですが、それ以外の三の丸や外縁部は比較的空いていて落ち着いて散策ができます。お城の見どころは建築物だけではありません、石垣や堀なども城ごとの特徴があって面白いです。

    外縁部や三の丸で石垣をじっくりと眺めてみるのも面白いかもしれません。特徴的な石やどうやって運んだのかと思うほど巨大な石など、色々な発見があると思います。

    Photo by nubobo

    高知公園の見どころは城以外にも、山内一豊とその妻である見性院や板垣退助の銅像、四季折々の変化が楽しめる木々や草花などがあります。

    また、夏の暑い時期には、公園内にミスト散布や冷たいおしぼりを配布するスポットが設置されるなど、来場者への配慮も行き届いています。

    ライトアップや桜の名所としても楽しめる

    フリー写真素材ぱくたそ

    高知公園は高知県内でも有数のお花見スポットとして有名です。公園内には255本の桜が植えられていて、見頃を迎えるる3月下旬~4月下旬には多くの花見客が公園を訪れます。

    また、高知公園では毎年4月第1週の週末に、高知城花回廊というイベントを開催しています。18:00から開始される夜間のイベントで、灯篭の柔らかい灯りと鮮やかな活け花で、高知城が飾り立てられます。特設舞台では地元の伝統芸能や琴や笛、太鼓などの演奏が楽しめます。

    また、普段は17:00までしか入城できない天守も期間中は21:00まで見学することができ、普段は見ることができない天守から見る高知の夜景や公園の夜桜が堪能できます。

    住所 高知県高知市丸ノ内1-2-1
    電話番号 088-824-5701

    高知城周辺の観光スポット

    Photo by misijp

    高知城、高知公園の周辺には見どころ満載の観光スポットがたくさんあります。ここでは土佐の歴史を学べる博物館や歴史を肌で感じられる土佐の偉人達にゆかりの場所、地元高知の名産品や郷土料理を味わったりすることができるスポットなどをご紹介します。

    高知県立高知城歴史博物館

    Photo by cyesuta

    見どころ満載の観光スポット1つ目は、高知県立高知城歴史博物館です。土佐の文化と歴史を紹介する博物館で、高知公園のすぐ近くにあります。

    山内家伝来の貴重な資料や土佐藩、高知県の歴史資料などが多数展示されています。体験型の展示や映像展示なども充実していますので、大人も子供も楽しみながら歴史にふれられる博物館です。

    Photo by12019

    また、高知城歴史博物館では、山内家や土佐藩の歴史や幕末や明治維新にスポットを当てた高知の博物館ならではの企画展が行われています。

    高知城歴史博物館の観覧料は博物館のみの観覧で500円(企画展開催中は700円)で、高知城と博物館のセットの場合は730円(企画展開催中は890円)、20名以上で団体割引ありとなっています。開館時間は9:00~18:00です。

    住所 高知県高知市追手筋2-7-5
    電話番号 088-871-1600

    龍馬の生まれたまち記念館

    Photo by k14

    見どころ満載の観光スポット2つ目は、龍馬の生まれたまち記念館です。高知市立の地域歴史博物館で、坂本龍馬の人生と家族、故郷である高知市上町の歴史や文化を展示する博物館です。

    高知公園や高知城歴史博物館からは少し離れた場所にありますが、高知市内を走る路面電車を利用すれば、最寄りの上町一丁目駅まですぐに到着できて便利です。

    上町一丁目駅から博物館へは徒歩で3分ほどで、途中には坂本龍馬生誕の地もありますので、是非立ち寄りましょう。また、博物館周辺には龍馬やその仲間たちにゆかりのある史跡など見どころがたくさんありますので、時間があれば散策してみてはいかがでしょうか?

    入場料は300円(団体割あり)で高校生以下は無料、開館時間は8:00~19:00となっています。

    住所 高知県高知市上町2-6-33
    電話番号 088-820-1115

    土佐の日曜市

    Photo by Atsushi Tadokoro

    見どころ満載の観光スポット3つ目は、土佐の日曜市は、高知城歴史博物館もある高知市追手筋で毎週行われる街路市です。この街路市の歴史は長く少なくとも300年以上の歴史があります。また、全国的にも珍しい終日開催されるという特徴を持っています。

    出品されるものも特徴的で、農産物だけでなく、農具や骨董品、郷土料理や工芸品、土産物なども販売されています。市が開かれているスポットはまるでお祭りの会場のような雰囲気で、観光客や地元、近隣の町の人たちで大変な賑わいを見せています。

    高知城へのアクセス

    Photo by e_s_jp

    高知駅から高知城へのアクセスは、とさでん交通バス利用の場合は「高知城前」下車で乗車時間は10分、電車であればとさでん交通の路面電車を利用し、「はりまや橋」乗り換え「高知城前」駅下車で乗車時間15分となっています。

    徒歩で向かっても30分かからない程度の距離ですので、日曜市など高知市の観光スポットを巡りながら歩くのもいいかもしれません。

    高知城で歴史を体感しよう!

    Photo by naitokz

    ここまで高知城の歴史と建造物やその特徴についてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?高知城とその周辺は、歴史ファンでなくても楽しめる見どころ満載の観光スポットですので、高知観光の際はじっくりと散策して土佐の歴史や文化に触れてみましょう!

    速水喜彦
    ライター

    速水喜彦

    歴史と酒と食べることが好きです。神社仏閣、歴史関連、日本酒、飲食店の記事を中心に執筆しています。

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