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ここからは「日本100名城」にも選ばれた「鹿児島城」が建てられた当時の役割や、現在の「鹿児島城」の姿についてご紹介していきます。
島津氏の居城として築城
「鹿児島城」は、薩摩藩の藩主である島津氏の居城として、島津忠恒によって築かれました。建てられて以降は、廃藩置県が行われるまでずっと居城として使われていました。
全国には、大きな山の頂上に建てられるお城もありますが、「鹿児島城」は平野の中にある小さな山に造られたため、観光で訪れる際はアクセスがしやすく便利です。
天守閣を持たない屋形造のお城
「鹿児島城」は天守閣を持たない屋形造(やかたづくり)のお城です。屋形造は質素で単純な造りのため、防御などには向いていなかったそうです。
別名「鶴丸城」と呼ばれる鹿児島城
「鹿児島城」は別名「鶴丸城」とも呼ばれています。なぜ「鶴丸城」と言われたかというと、屋根の形が鶴の翼を広げた様子に似ていたからだそうです。地元では古くから「鶴丸城」として親しまれています。
鹿児島城の歴史
「鹿児島城」は薩摩藩の藩主である島津忠恒によって、1601年に築かれました。島津氏は1600年の関ケ原の戦いで徳川軍と敵対しており、その後も徳川家の脅威に備えるために築城されました。
鹿児島県は災害が多いため、焼失や倒壊のたびに建て直しされていましたが、1874年に焼失してからは建て直されることがありませんでした。その後、2006年に「日本100名城」として選ばれています。現在もお城の姿は無く、石垣や門などしかありません。
鹿児島城の見どころ
続いては、「日本100名城」にも選ばれた「鹿児島城」の見どころについてご紹介していきます。
鹿児島城本丸石垣
「鹿児島城」の見どころ1つ目は、「鹿児島城本丸石垣」です。「鹿児島城」の石垣は、バラバラの岩を積み上げたのではなく、四角く形を整えて綺麗に並べて積み上げられています。
鹿児島城二之丸石垣とアコウの大木
2つ目にご紹介する「鹿児島城」の見どころは、「鹿児島城二之丸石垣」と「アコウの大木」です。現在の二之丸には博物館や図書館があります。「二之丸石垣」には非常に大きな「アコウの大木」が生えています。
石垣の正面からは、「アコウの大木」の根が這っている様子を見ることができます。「アコウ」は根を伸ばして周りのものに絡みつく特性をもっており、石垣にも絡みついたのだと考えられます。