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その後近代に入り、陸軍の駐屯地となり、歩兵三十二連隊の兵営敷地として利用されます。その際に、御殿や櫓は壊され、本丸は埋め立てられ、三の丸の堀も埋め立てられてしまいます。
後に日本百名城の1つに数えられる程壮大だった山形城は歴史と共にその姿を失っていったのです。
山形城を発掘調査!蘇りつつある壮大な城郭
歴史と共に輝きを失いつつあった山形城ですが、山形を大きく発展させた最上義光が改築した壮大な城郭を復活させようと、20年以上前から発掘調査が行われてきました。既に「二の丸東大手門」と完全ではないものの「本丸一文字門」も復元されています。
本丸は採掘調査によって、漆喰壁や金箔瓦だったのがわかっており、調査結果を元に復元工事が予定されています。まだ、本来の城郭全てを完全に取り戻すには長い歳月がかかるでしょうが、それでも見どころは沢山あり、旅の目的とするのには申し分ない状態にまで復元されています。
復元された山形城2つの「門」その見どころをご紹介
既に復元されている「本丸一文字門」と「二の丸東大手門」ですが、どちらも復元には長い年月がかかっており、一文字門に至っては未だ完成はしていません。それでも、見るものを圧倒するスケールを誇っています。
さすがは日本百名城の1つと思わせる2つの門、本丸一文字門と二の丸東大手門の見どころと特徴を紹介します。
本丸一文字門
本丸御殿を守る最後の砦だった、本丸一文字門ですが、右側の高くなっている石垣の上にあった一文字門はまだ復元されていません。その先の本丸御殿もまだない状況ですが、丁寧な採掘作業により、御殿や井戸跡が出てきているのは確認出来ます。
本丸一文字門の手前にあった高麗門やその奥にある枡形と言われる空間、高麗門に通じる木橋や内堀は復元されており、十分に山形城の歴史を感じられるはずです。そして、一文字の復元も既に予定されており、本丸一文字門の完全復元を見れる日もそう遠くはないはずです。
二の丸東大手門
山形への旅で山形城に訪れたら、まず真っ先に「二の丸東大手門」の壮大さに目を奪われると思います。山形城最大の見どころと言っても過言だとは感じない程巨大で、威風堂々たる姿をしています。
8年の月日をかけて復元された二の丸東大手門は、当時日本最大の城郭を誇った江戸城の城門にも匹敵すると言われていました。江戸城の城門として映画の撮影も行われた事もある程です。まさに日本有数の城門と言えます。
山形城の基本情報
山形城は斯波兼頼が築城し、第11代最上家当主にして初代山形藩主となった最上義光が改築し、日本百名城の1つに数えられ、見どころの多い名城です。北の関ヶ原とも言われた慶長出羽合戦の長谷堂城の戦いで、城郭が霞んで見えなかった事から霞城、もしくは霞ヶ城とも言われました。
山形城の見どころの1つの霞城公園は二の丸のあった内郭部分です。桜の名所として知られ、多くのソメイヨシノがあり、春には満開の花を咲かせ、旅人を迎えてくれます。公園の周りには、博物館や最上義光歴史館、郷土館や美術館など、多くの文化施設が立ち並びます。
山形城は輪郭式の平城です。城郭は日本国内でも有数の広さで、奥羽では最大規模を誇ります。最上家の衰退と共に朽ち果てていき、日本陸軍の駐屯地として使う為に、御殿は壊され、堀は埋め立てられました。
そんな山形城を元の状態に戻そうと、町をあげて復元に取り組んでいます。二の丸東大手門が復元され、本丸一文字門も完成されつつあります。特に二の丸東大手門は江戸城の城門に匹敵するくらい巨大で、その壮大さに目を奪われます。
昭和61年に国の史跡指定を受けます。平成18年に日本百名城の1つに認定されます。まだまだ復元途中の山形城ですが、見どころはいっぱいあり、完全に復元されるのが待ち遠しく感じるお城です。
山形城へのアクセス
旅に大事なアクセス方法の紹介です。山形城への新幹線でのアクセス方法ですが、JR山形本線を山形駅まで。仙台から来る場合は、仙台線になります。山形駅西口から徒歩約8分、東口からだと約12分です。車でのアクセス方法は、高速を蔵王ICで降車するか、山形中央ICで降車する事になります。
山形城は年中無休で、開園時間は5時から22時で、入場料や見学料、駐車料金などは無料です。霞城公園は盲導犬の受け入れも可能で、車椅子の方用のトイレやスロープもあり、バリアフリー対策が施されていて、障害を持たれた方の旅にも優しい作りになっています。