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奈良県吉野山の桜は、全国有数のお花見スポットになっていますが、なぜこれほどまでにたくさんの桜の木が吉野山に植えられたのでしょうか。実は、これには理由があります。それは、信仰上の関連です。
奈良県吉野山では、古代の頃から山岳宗教が盛んに行なわれ、発展してきました。宗教上の事と関連して、桜の木がたくさん植えられた背景があります。
古代の時代から宗教が盛んにおこなわれていた地域で、たくさんの伝承が伝えられています。信教の面からみると日本の中でも伝承の多い地域で、桜に関連した伝承も数多く伝えられています。
吉野の桜は信仰としての一面ももつ
吉野山では、700年前後の古代の頃、山岳宗教が盛んになっていました。当時、山々にはそれぞれ神が宿るという伝承があり、中でも吉野山には神仙の住む理想郷であるという言い伝えがありました。
修験道の開祖といわれている役小角が、山の中での厳しい修行の果てにたどり着いた蔵王権現の尊像こそが俗世からの救いの象徴となるとして桜の木に刻み込み、これを山上ヶ岳と吉野山に祀ったという伝説があります。
厳しい修行を進める中で出会った尊像と桜の木に出会ったときの役小角の心境はいかほどのものだったのでしょう。世の真理にたどり着いた心境だったのかもしれません。
のちに修験道が興隆を見せる中で、上記の伝説に基づき桜の木こそが「御神木」にふさわしいとされ、献木の意味合いで桜の木が吉野山に植え続けられました。
これらのことにより吉野山には多数の桜の木が植えられることになりました。古来から、たくさんの文化人が吉野山の桜を鑑賞に来ています。西行法師や松尾芭蕉などの文筆人、国学者である本居宣長など多くの歴史的著名人が訪れた記録が残されています。
吉野の桜を見に訪れた著名人といえば、豊臣秀吉を抜くことはできません。当時興隆の髄を極めていた豊臣秀吉は、徳川家康ら家臣を連れてこの地に花見に来ます。しかし、連日の雨天が続き、いらだった秀吉は吉野の山を焼き払う剣幕になります。
これを聞き焦った僧たちは晴天祈願を一生懸命行ないました。その甲斐あって翌日には快晴となり盛大なお花見が繰り広げられたとされています。秀吉も、吉野山の神仏の高尚さに恐れ入ったといわれています。
昔からたくさんの伝承が伝えられている吉野の山の桜ですが、これからも多くの伝承を伝えながら桜の美しさを見せてくれるでしょう。
吉野の桜は4つのエリアに分かれる
吉野山の桜のエリアは、大きく分けて4つに分類できます。下千本・中千本・上千本・奥千本の4か所です。標高が異なるため、時期によって見え方がかなり違ってきます。全部のエリアの桜を間近で見るのは結構大変ですが、一見の価値ありです。
エリアごとの見頃情報は、インターネットの公式ホームページなどで紹介されているので、奈良の吉野山の桜情報を事前にチェックしてから花見に行くことをお勧めします。
サイト上には、見頃情報だけではなく吉野山を最大限楽しめるための観光情報も満載です。アクセスに関する情報も充実しているので来訪する前に一度チェックしておくといいかもしれません。
開花エリアが移ろうことによって長く見頃が楽しめる
奈良県吉野山の桜のエリアのうち、下千本のエリアが最初に見頃を迎えます。例年4月6日前後に開花情報が発表され、4月8日前後に見頃を迎えます。七曲坂という下り坂があります。近鉄吉野駅につながっている並木道で、桜並木の絶景を楽しめます。
中千本のエリアは、下千本エリアからさらに2日程度開花と見所が遅れます。中千本エリアの吉水神社からの展望が絶景でおすすめです。「一目千本」と呼ばれる絶景で、中千本から上千本まで、桜を一望できます。