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歴史と花の名所である宮崎県の西都市を代表する観光スポットである「西都原古墳群」とは、どういったところなのでしょうか?人気観光スポットの最古級の古墳がある「西都原古墳群」の基本情報をご紹介します。
そもそも古墳とは
歴史の教科書にもでてくる古墳とは、そもそも何なのでしょうか?いつ頃、誰が、何のために作られたものなのでしょうか?そんな古墳についての基本的情報についてご紹介します。
弥生時代後である3世紀末~7世紀末頃の約400年間を「古墳時代」と言います。この時代に「古墳」と呼ばれる巨大な墓が作られたことから、こうした名称が付けられました。
「古墳」とは、土を高く盛り上げた墳丘の墓のことを指します。これは、時の権力者の墓や位の高い人物の墓として作られました。これ以前の弥生時代にも、「墳丘墓」と呼ばれる大きな墓は作られていました。
しかし弥生時代の「墳丘墓」は、各地域ごとに色々な形をしていました。それが古墳時代になると、日本全国で共通した形の古墳が作られるようになります。
古墳の形としては、円墳と方墳を基本形として、その他にも長方形墳、八角墳や山が二つある前方後円墳や前方後方墳などがあります。これらは時代ごとに変化しており、そこから古墳時代は大きく、前期、中期、後期、終末期に分けられます。
古墳は、土や石を積み上げた「墳丘」と古墳の周りに彫られた堀である「周濠」があります。墳丘の中には遺骸や副葬品を納められており、外側は外敵から守ったり、飾りをしたりされています。
また埋葬施設の形には、竪穴式と中期に出現する横穴式に大きく分けられていますが、いずれも古墳時代になると死者を木棺や石棺などの棺にいれて埋葬するようになります。古墳時代のこうした変化は、鉄の道具や武器武具などの技術が発展したことが挙げられます。
日本の古墳は、兵庫県で16577基にのぼり日本で最も数多く古墳があります。この他に、宮崎県をはじめ、奈良県や京都府、大阪府、群馬県、千葉県、茨城県、岡山県、福岡県などに古墳が数多く見つかっています。
西都原古墳群の大きさ
宮崎県の西都市にある人気観光スポットの日本最大級の古墳群である「西都原古墳群」は、どれほどの規模の古墳なのでしょうか?九州山地の熊本県との境を流れる一ツ瀬川流域にある「西都原古墳群」の大きさをご紹介します。
「西都原古墳群」は、5つの古墳群から成ります。「百塚原古墳群」、「千畑古墳」、「茶臼原古墳群」、「松本塚古墳」、「新田原古墳群」があります。
これら5つの古墳群が、西都原台地と呼ばれる丘陵大地(標高60m~70m)に、東西約2.6km、南北4.2kmにわたって前方後円墳が31基、円墳が279基、方墳が1基存在しています。
日本有数の大古墳群
これだけの古墳群が集まる「西都原古墳群」は、日本でも有数の大古墳群です。「西都原古墳群」にある古墳には、地下式横穴暮や横穴暮も確認されており、これらの古墳がこの広大な大地に残されています。
日本国内で最古級の古墳がある!
日本国内でも最大規模を誇る「西都原古墳群」ですが、その古墳群の中に日本国内で最古級の古墳が見つかっています。それが、西都原81号墳の前方後円墳です。この前方後円墳は、「纒向型前方後円墳」と呼ばれる形状の古墳をしています。
この前方後円墳から、弥生時代と古墳時代に作られた土器などの出土品が発見されました。これまで「西都原古墳群」が作られたのは4世紀頃とされていましたが、この発見により3世紀中ごろのものであることが判明しました。