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パワースポットとして人気の武雄神社!
私たちの祖先は、大きな木や岩などに神を感じ、信仰の対象としてきました。武雄神社は、ご神木の大楠がパワースポットとして有名な神社です。樹齢3000年の大木がある武雄神社には、どんなご利益があるのでしょう。神社の由来と、ご利益をご紹介します。
武雄神社の由緒
佐賀県にある武雄神社は武雄町武雄の御船山の東麓にあって、市内で最も古い神社です。主神は、武内宿禰(たけうちのすくね)です。武雄神社は、平安時代中期から室町時代末期にかけての古文書(国指定重要文化財)が残っている、由緒ある神社です。
武雄神社の鳥居は肥前鳥居と呼ばれ、ユニークな形は見どころの一つです。石造文化史上でも大変貴重とされています。
武雄神社は「武雄神社本紀」によると、神功皇后が三韓征伐から帰ってきた時、武雄市に兵や船を止めたところが、船のように見える山、御船山になったと言われています。その時に同行していた住吉神と武内宿禰が、船の船尾だったこの地に鎮座したそうです。
武雄神社の初代宮司、伴行頼に「吾は武内大臣である。艫(船尾)には住吉神がおられ、艫嶽に祀られていてもおそれ多く落着かないので、軸嶽に自分を祀るならば、末永くこの地に幸福が訪れるであろう。」との神託があったと言われています。
行頼は太宰府を通じて朝廷に願い出て、天平7年(735年)主神の武内宿禰をはじめ、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、武雄心命が合祀しました。この後、山の北側のふもとに武雄宮が創建されたと記されています。
その後1118年から1120年頃、武雄二代領主の後藤資茂がこの地に塚崎城を築城しました。この時、武雄神社を朝廷に奏上して、御船山の船尾だった場所から、現在の武雄市武雄町に神霊を移したと言われています。
武雄神社には、不思議な力の言い伝えがあります。文永の役(1274年)の時、武雄神社の神殿から鏑矢が元の軍船に飛んで行き、元の軍が逃げ出したそうです。また、弘安の役(1281年)では、神社の上宮から紫の幡が飛んで行き、大風が起きたとも言われています。
武雄神社は古くから霊験あらたかで、九州の宗社として栄えたと言われています。現在も武雄の氏神様として、広く信仰を集めています。