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吉備津神社
桃太郎伝説発祥の地、岡山の観光スポット2つ目は、岡山県岡山市北区吉備津に鎮座する吉備津神社です。吉備津「彦」神社とはよく似た名前で、所在地も近いのですが、別の神社です。
吉備津神社は備中国(現在の岡山県西部)の一ノ宮であり、備前、備中、備後、美作に分割される以前の吉備国(岡山県と広島県東部)の総鎮守でもあり、前述の吉備津彦神社や広島県福山市の吉備津神社(備後国一ノ宮)の大本の神社とも言われています。
ご祭神は吉備津彦神社と同じ大吉備津彦命で、創建年代は不詳ですが、吉備津彦が亡くなった後に、彼が居住した吉備中山の麓の茅葺宮に、吉備津彦の御霊を祀ったのが起源であるという話が伝わっています。
現在の拝殿と本殿は室町時代の造営で、後光厳天皇の命により足利義満が明徳元年(1390年)から35年の歳月をかけて、応永32年(1425年)に完成させました。
本殿は比翼入母屋造という独自の建築様式で建てられています。比翼入母屋造とは、入母屋造の屋根を二つ並べたもので、吉備津造という名前でも呼ばれています。
また、ご利益についても吉備津彦神社と共通していて、長寿のご利益を授けて頂けます。相対して鎮座する吉備津彦神社とあわせて参拝すれば、長生き間違いなしです!
鳴釜神事
本殿と拝殿の横には境内を南北に貫く廻廊があります。この廻廊を進んだ先には御竈殿という社があり、ここでは鳴釜神事という吉備津神社独自の神事が行われています。
鳴釜神事とは、大吉備津彦命への祈願が叶うかどうかを占う神事で、その手法は、釜の上に米を入れたせいろを置いて、火を焚きます。その時の音によって祈願の成否を占います。
吉備津彦に討たれさらされた温羅の首は、死してなお、うなり声を上げ続け、それは骨になっても、竈の下に埋めても続いたそうです。温羅の妻に神饌を炊かせることでようやく静まったと言われ、これが鳴釜神事の起源であると言われています。
この神事がいつから始まったかは不明ですが、最古の記録は戦国時代に書かれた多聞院日記で、永禄11年(1568年)5月16日にこの神事ついての記述があるそうです。
住所 | 岡山県岡山市北区吉備津931 |
電話番号 | 086-287-4111 |
鬼ノ城
桃太郎伝説発祥の地、岡山の観光スポット3つ目は、岡山県総社市にある鬼ノ城です。岡山が桃太郎伝説発祥の地とされる、根拠の一つと言われており、桃太郎のルーツとなった吉備津彦の温羅退治の伝承では温羅が根城とした城と伝わっていて、鬼が島の原型と言われています。
しかし、鬼ノ城について記述された歴史資料はいまだにみつかっておらず、詳細については何もわかっていません。築城年についても不明ですが、発掘調査により7世紀後半に築かれたものと推測され、白村江の戦い以降に築かれた古代山城のひとつではと言われています。
現在は角楼(かくろう)や西門(城門)も復元され、散策が楽しめる観光スポットになっています。麓の街が見渡せる西門からの眺望は絶景です。
住所 | 岡山県総社市黒尾 |
電話番号 | 0866-92-1211 |
鯉喰神社
桃太郎伝説発祥の地、岡山の観光スポット4つ目は、岡山県倉敷市に鎮座する鯉喰神社です。この神社も桃太郎伝説のルーツとなった吉備津彦と温羅の伝説にゆかりのあるスポットです。
伝承によると、吉備津彦との戦いで追い詰められた温羅は鯉に姿を変えて川へ逃れ、吉備津彦は鵜へと姿を変えてそれを追い、ついに温羅が姿を変えた鯉を食べてしまいました。その場所に社を建てたのが、この鯉喰神社の起源と言われています。
社殿は江戸時代前期の元禄14年(1701年)と江戸後期の天保13年(1842)年に造営され、現在に至っています。この神社では吉備津彦と温羅の戦いにちなんで必勝のご利益が頂けるそうです。受験や試合など控えている方は倉敷観光の合間にに参拝してみてはいかがでしょうか?
住所 | 岡山県倉敷市矢部109 |
電話番号 | 086-426-3851 |