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桃太郎伝説発祥の地の一つとされる岡山には、おとぎ話である桃太郎のルーツとなった、吉備津彦命(きびつひこのみこと)と温羅(うら、おんら)の伝説が残っています。
吉備津彦は日本書紀と古事記によると、第7代孝霊天皇の皇子で、四道将軍の1人として、西道(現在の山陽地方)へ派遣され、吉備国(現在の岡山県全域と広島県東部、兵庫県の西部、香川県の島嶼部)を平定した人物です。
一方の温羅は、吉備冠者とも呼ばれた吉備国の統治者とされる人物で、鬼神の異称も持っていました。吉備津彦がこの温羅を退治して吉備国を平定した話が桃太郎伝説のルーツと言われています。
吉備津彦が温羅を退治した話の詳細は、日本書紀にも古事記にも記述がありませんが、岡山では伝承としてその詳細が言い伝えられて来ました。
その内容は、鬼ノ城(きのじょう)を根城とし、鬼神の異名で呼ばれた温羅を、吉備津彦が3人の家来を従えて討伐したというものです。
3人の家来は犬飼健命(いぬかいたけるのみこと)、留玉臣命(とめたまおみのみこと)、楽々森彦命(ささもりひこのみこと)と言い、それぞれ桃太郎の家来である犬、雉、猿のモデルと言われています。
家来の顔ぶれや温羅の根城の名前など、吉備津彦と温羅の伝説と桃太郎伝説の間には、桃太郎伝説のルーツが吉備津彦の伝説なのではないかと思わせる符号が確かにあります。
余談ではありますが、吉備津彦の家来の1人である犬飼健命は、第29代総理大臣で、5.15事件で凶弾に倒れた犬養毅のルーツとして知られています。犬養毅も自身のルーツを誇りに思っていたそうで、岡山市の吉備津神社には犬養毅の立像が建っています。
岡山の桃太郎伝説ゆかりの観光スポットをご紹介
桃太郎伝説発祥の地である、岡山には桃太郎伝説やそのルーツと言われる吉備津彦と温羅の伝説ゆかりの観光スポットがたくさんあります。
桃太郎のモデルと言われる吉備津彦を祀る吉備津彦神社や吉備津神社、鬼が島の原型ではないかと推測される鬼ノ城、吉備津彦と温羅の対決の舞台と言われる鯉喰神社と矢喰宮など、いずれも桃太郎伝説を巡る旅では絶対に外せない観光スポットです。
吉備津彦神社
桃太郎伝説発祥の地、岡山の観光スポット1つ目は、岡山県岡山市北区一宮に鎮座する吉備津彦神社です。備前国(現在の岡山県東南部)の一ノ宮として古くから崇敬を集めてきました。
ご祭神は大吉備津彦命で、これは先ほどご紹介した桃太郎のルーツ、吉備津彦のことです。
創建は推古天皇(593年~628年)とされていますが、資料上に現れるのは平安後期です。本殿は元禄10年(1697年)に岡山藩主の池田氏によって再建されたもので、伝統的な神社建築の一つである流造で建てられています。
同時に再建された拝殿、祭文殿、渡殿は昭和5年(1930年)火災で焼失したため、昭和11年(1936年)に再建され、現在に至っています。
吉備津彦神社は朝日の宮という別名で呼ばれることがあります。これは夏至の日に太陽が正面鳥居の真向いの山から登り、その光が鳥居から差し込んで、祭文殿の鏡に当たるからだそうで、夏至の日の早朝には日の出祭という行事が行われるそうです。
吉備津彦神社では開運招福、厄除けといった定番のご利益の他に長寿のご利益が頂けます。これは吉備津彦が281歳まで生きたという伝承にあやかってのことだそうで、現在も長生きを願う人々が大勢参拝に訪れるそうです。
住所 | 岡山県岡山市北区一宮1043 |
電話番号 | 086-284-0031 |