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登録有形文化財の料亭「鯛よし百番」
大阪の天王寺地区からほど近い場所に「飛田(とびた)新地」と呼ばれる場所があります。昼間でも女性一人で出歩くのは危ないといわれる大阪・飛田新地は、夜になるとさらに妖しい雰囲気の街になります。
そんな大阪・飛田新地の一角に大正時代にタイムスリップしたような独特な雰囲気が漂う料亭「鯛よし百番」があります。外観を見ただけでも歴史を感じる鯛よし百番ですが、建物の中に入るとさらにびっくりするような豪華絢爛な景色が広がっています。
しかも高級料亭として今も現役で営業している鯛よし百番は、「料理がおいしい」ということでも有名で、「予約なしで入店することはほぼ不可能」ともいわれています。
「鯛よし百番」ってどんなお店?
外観を見るだけでも妖艶な雰囲気が漂う鯛よし百番は、大阪のインスタ映えするスポットとしても有名です。ただしカメラを向けてもよいのはあくまでも鯛よし百番の外観および店内のみで、昼であっても店の周辺にカメラを向けることはご法度とされています。
このように鯛よし百番について紹介すると「そんな妖しい店、本当に大丈夫なの?」と思うかもしれません。ところがそれはあくまでも鯛よし百番が独特な歴史を持つ大阪・飛田新地にあることが理由であり、その理由のもととなるのが飛田新地が歩んできた歴史です。
大阪の飛田新地にある人気の料亭
大阪・飛田新地にある鯛よし百番は、古くから高級料亭として有名な店です。夜になり提灯の灯りに照らされた外観は令和の時代であることを一瞬忘れてしまうような不思議な雰囲気が漂います。
また店の中に足を踏み入れると、そこは大ヒット長編アニメ映画「千と千尋の神隠し」に出てくる湯屋の接待場のような雰囲気です。
そのため大阪の鯛よし百番は高級料亭として今も多くの著名人たちが足を運びますが、その一方でインスタ映えするスポットとして若い人の姿も多いのが特徴です。
そもそも大阪の飛田新地に鯛よし百番のような高級料亭が存在することになった理由は、飛田新地と呼ばれる地域にかつて遊郭があったことと関係します。
実は大阪・飛田新地には、鯛よし百番以外にも屋号に「料亭」がつく店は多数あります。料亭といえば職人と呼ばれる和食料理人が、厳選された食材を使って目でも楽しめる和食料理として提供する高級飲食店のことです。
しかも最高レベルの和食を提供するだけでなく、美しい器・伝統的な数寄屋造りの家屋・庭園などが楽しめますし、日本文化の真髄といわれる「おもてなしの精神」が無形サービスとして提供されます。
それだけに「料亭」で食事をすると料理に関する料金だけでなく席料やサービス料も必要になるため、和食がおいしいと評判の料理店とは比較にならないほど高いです。
また支払いの保証がない一見さんはお断りされるという話も、料亭あるあるとしてよく知られています。このように一般庶民にはあまりにも敷居が高すぎる料亭ですが、なぜか大阪の飛田新地にはたくさんの料亭が存在します。
ただしこれには大阪の飛田新地特有の事情が関係しています。大阪の鯛よし百番は間違いなく一般的に「料亭」と呼ばれる店なのですが、大阪の飛田新地にある鯛よし百番以外の料亭は表向きは料亭として営業しているものの、実態は「ちょんの間」と呼ばれる店なのです。
「ちょんの間」という呼び方は「ちょっとの間の行為」が由来にあります。つまり男性客が女性店員とつかの間の自由恋愛を楽しむ店というわけなので、いわゆる「売春宿」のようなものです。
ちょんの間は鯛よし百番がある大阪・飛田新地に限らず、北は北海道、南は九州・沖縄、さらに海外では韓国にもあります。
ただし1956年に売春防止法が施行されたことによってちょんの間は廃止となったため、現在ちょんの間ということばそのものもほぼ死語に近いです。
とはいえちょんの間のような店はいつの時代でも需要があるので、大阪の飛田新地にあったちょんの間は法律違反として摘発されるのを避けるために、表向きには「料亭」と看板を変えました。
そのため鯛よし百番がある大阪・飛田新地では、昼間でも店先で客引きをする女性の姿が多く見られますし、こういう商売をしている地域でよくあるちょっと怖い気配も街を歩くと感じます。
今では正真正銘の高級料亭として営業をしている鯛よし百番ですが、創業当時は遊郭として営業していました。ただし当時の鯛よし百番は江戸時代から続く正統派の遊郭で、時の政治家や権力者、裕福な町人などが足を運ぶ高級サロンのような場所でした。
その証拠に大阪の鯛よし百番の店内は遊郭時代の面影が随所にありますし、高額な値段がつく美術品もたくさん飾られています。また日本古来の文化と西洋文化が融合した和洋融合の建築技術も、大阪の鯛よし百番で食事をすれば間近に見ることができます。
2000年に国の登録有形文化財として登録
戦後施行された法律によって遊郭の営業が禁止されたことをきっかけに、「今後遊郭として商売するのは難しい」と判断した鯛よし百番は改装を行い、本格的な和食料理と質の高いサービスを提供する高級料亭として営業を再開します。
つまり改装工事を行ったのはあくまでも料亭として営業するために必要な工事だったので、建物自体は大正初期に建てられた状態のまま保存されました。
そのこともあって大阪の鯛よし百番は「元・遊郭」という特殊な過去があるにもかかわらず、大正時代の最先端技術を結集させた見事な建物や日本文化を象徴する貴重な美術品を現代まで継承しています。
さらに2000年には貴重な大正建築美術などが高く評価され、かつて高級花魁が暮らしていた大阪の鯛よし百番は国の登録有形文化財となったのです。
遊郭時代の建物を現在でもそのまま使っている
大阪の鯛よし百番は、遊郭として営業していた当時の建物をそのまま使用していることが登録有形文化財に指定された大きな理由なのですが、遊郭の特徴といっても令和の今の時代に遊郭は存在しないので、イメージするのが難しいかもしれません。
そこで建築技術としてではなく「かつて遊郭だった建物」として見る場合のわかりやすいポイントをいくつか紹介しましょう。
遊郭の特徴がよくわかるのが、鯛よし百番の2階部分です。2階は遊郭の核ともいえる部分で、四方に広がる廊下には客が最初に遊女から接待を受ける「引き付け座敷」と「宴会座敷」があります。
階段を上がってすぐの場所にある部屋が「遣手部屋」と呼ばれる場所で、遊女が外に逃げるのを監視するための部屋として使っていました。もちろん24時間監視となるので、生活に必要な道具はすべてそろえられています。
なお遊郭で働く遊女たちが生活するスペースも2階に準備されていました。つまり大阪の鯛よし百番で働いていた遊女たちは、プライベートも仕事場もすべて建物の2階にあったため、身請けして遊郭から出ない限り1日のほとんどを2階で過ごしていたといえます。
ちなみに遊郭にやってきた客は1階にある入口から遊女たちがいる2階へと上がるのですが、1階は宴会用の食事などを作る調理場が大半を占めていました。
遊女たちも食事をする際には1階に下りてきますが、階段を降りたすぐわきの部屋には遊郭の経営者の部屋がありここでも厳しく遊女の動きを見張っていたため、1階に下りてきても外に出ることはできません。
なお遊郭で働くのは花魁などの高級遊女のほかにも、花魁たちの世話役や食事係、さらに下級遊女たちも住んでいました。こうした人たちは遊郭の1階が生活の場となっていたため、遊郭にやってきた客は、店に入った瞬間、生活感の漂う風景を最初に目にしていたということになります。
ちなみに1階には風呂やトイレがありますが、2階にはトイレがないため、客もトイレを使用する際には1階に下りなければいけません。そのためトイレは2階に通じる階段のすぐわきに作られています。
大正建築美術の豪華絢爛な装飾
大正時代はわずか15年しか続きませんでしたが、都市整備と経済発展が目覚ましい時代だったため、わずか15年間の間に日本の文明や文化は大きく変化しました。
もちろん建築技術の発展も目覚ましく、大正時代に建てられた現存する建物の多くは文化財として保存されています。
大正時代に建てられた歴史的価値のある代表的な建物の中には、東京駅や旧帝国ホテルがあります。特に旧帝国ホテルはアメリカを代表する有名な建築家フランク・ロイド・ライトが設計していることでも有名です。
一見すると洋風の建物としての特徴が強い旧帝国ホテルなのですが、フランク・ロイド・ライドは日本建築の傑作といわれる平等院鳳凰堂をモチーフに全体を設計しているため、大正建築の特徴である和洋折衷が見事に表現されています。
もちろん大坂の鯛よし百番も大正時代に建てられた建物ですので、和洋折衷様式が随所に見られます。ただしその特徴が最もよくわかるのは、外装ではなく内装の方です。
大正時代に建てられた建造物は、「大正デモクラシー」と呼ばれる新たな文化に大きく影響を受けています。
明治時代は西洋文化を積極的に取り入れることがメインでしたが、大正時代になると西洋文化をただ真似するだけでなく、それまでの日本の文化・思想に西洋の文化を融合させ新たな文化をつくりだしました。これが「大正デモクラシー」です。
もちろん生活様式にも大きな変化が起こり、その影響は江戸時代から続く遊郭にも波及します。そのため大阪の鯛よし百番でも、畳の座敷だけでなく日本伝統の床の間にカーペットや革製の重厚なソファーなど、大正時代ならではの家具の配置が多く見られます。
「鯛よし百番」の歴史
大正時代の建築技術が結集された大坂・鯛よし百番は、令和となった今でも現役で営業をしている歴史ある料亭です。豪華絢爛な内装が人気の鯛よし百番ですが、このような内装を施したことには歴史的な背景も関係しています。
大正初期に飛田新地の遊郭として建てられた
文明・文化ともに現代の日本文化の基礎を作ったといっても過言でない大正時代に作られた大阪・鯛よし百番ですが、独特な雰囲気が魅力とされるのは、鯛よし百番が歩んできた長い歴史以外にも理由があります。
わずか15年という短い期間で終わってしまった大正時代ですが、この時代に流行したものの1つが「恋愛」です。西洋文化が積極的に入ってきた明治時代以降、時代は少しずつ自由を求めるようになってきましたが、その傾向が庶民の間まで広がるようになったのは大正時代でした。
さらに新しい文化を真似るだけの明治時代とは違い、新しさと古さをミックスさせる傾向が強い大正時代には、日本人の間でそれまでほとんど意識されなかった「個性」が注目されます。
そこから「自由」「恋愛」「個性」の3つがミックスされ、男女の付き合い方にも大きな変化が起こります。長い日本の歴史を振り返れば、社会的地位が高くなるほど格式や家柄で結婚をするのが一般的であり、自由に恋愛をすることははしたないとさえ言われていました。
ところが歴史が変わり大正時代になると、日本人の思想そのものが個性や自由を容認するようになったため、自由に男女が出合い恋愛をすることが上流階級の間でもブームになります。
このように歴史が変わることで日本人の恋愛観にも変化が出ると、男女が出合うための場所が必要になってきます。ただし歴史が変わったとはいえ「恋愛=結婚」となるのは昭和に入ってからですから、出会いの場は純粋に恋愛を楽しむ場でした。
さらに面白いことに大正時代の恋愛には「純愛」という自由・個性と相反する要素が加わります。つまり「恋愛は自由にするものだが、純愛でなければ恋愛ではない」という考えが主流だったのです。
ただし恋愛を楽しみたい人の全てが純愛を求めているわけではありません。しかも社会的地位が高くなるほど、あとくされのない恋愛を楽しみたいという人が出てきます。
そこで「純愛&恋愛」を求める人は社会的にも認められている社交場に足を運び、単純にひと時の模擬恋愛を楽しみたい男性は遊郭へと足を運びます。こうした歴史的な背景があるからこそ、大正時代には数多くの遊郭が誕生したのです。
大正初期に飛田新地の遊郭として建てられた
現在では高級料亭として有名な大阪の鯛よし百番ですが、オープン当初は男女のひとときの出会いを楽しむ遊郭として大阪・飛田新地に作られました。
ただし大阪には「日本三大遊郭」の1つに数えられる新町遊郭があり、さらに大阪の新町遊郭にはもう1つの三大遊郭・京都島原遊郭でも活躍していた有名な夕霧大夫が在籍していました。
しかも歴史は飛田新地よりも長いため、上流階級の客は夕霧大夫目当てで大阪の新町遊郭へと流れてしまいます。そこで大阪の鯛よし百番は、飛田新地ではほとんど見られない豪華絢爛な内装にこだわることで大阪の新町遊郭に負けない遊郭を目指します。
つまり大阪の鯛よし百番が現在のような姿になったのには、単に大阪人気質が関係しているというわけではなく、鯛よし百番がオープンした大正時代特有の思想や文化と、日本三大遊郭・新町遊郭がすでに大阪にあったという歴史も関係しているのです。
1918年頃に竣工の木造2階建
創業100年以上の歴史を誇る大阪の鯛よし百番は、木造2階建ての建物です。部屋の造りや内装は遊郭として使われていたこともあって一般家庭の間取りとは大きく違いますが、かやぶき屋根の立派な木造建築の建物が飲食店として現役で営業しているのは非常に珍しいです。
しかも第2次世界大戦によって火災を免れたのも、数ある大阪の飛田新地の中でも鯛よし百番を含むほんのわずかしかありません。そのことを踏まえて考えてみても、現在の鯛よし百番がいかに貴重な建物であるかがわかります。
「百番」の屋号は遊郭時代からのもの
鯛よし百番は、戦後に料亭として再開する際に大規模な内装工事を行っています。そのため考え方によっては、新たな屋号で料亭として再出発する方法もありました。ところがその判断をオーナーが却下したため、鯛よし百番では現在でも遊郭当時の「百番」とを使い続けています。
「鯛よし百番」の見どころ
これまで歩んできた大阪・鯛よし百番の歴史を知ると、豪華絢爛な内装を施すことになった理由がなんとなく見えてきます。そこで大阪の鯛よし百番に来店したらぜひ見てほしいおすすめの見どころを簡単に紹介します。
大正時代にタイムスリップしたかのような外観
大正時代に作られた代表的な建物の多くは、西洋様式のコンクリート造りです。こうした傾向は関東大震災以降さらに加速していくのですが、大阪の鯛よし百番の外観は、日本の古きよき大正時代の木造建築のままです。
昼と夜では雰囲気ががらりと変わるので、貴重な大賞時代の建築物として鯛よし百番の外観を見学するのであれば昼がおすすめです。
日本の高い木造建築技術を結集して作られているので、コンクリート構造と比較しても耐震性が高いですし、日本古来から伝わる宮大工の技術もふんだんに使われえいるため歴史的にも貴重な建築技術を目にすることができます。
螺鈿や蒔絵も惜しげもなく使われた豪華絢爛な内装
内装は一片の隙もないほど豪華に装飾されています。たとえば入り口を入ってすぐの場所にある応接間は美しい蒔絵が描かれていますし、床には高級感が漂う赤いじゅうたんが敷かれています。
さらに歴史を感じさせる革製のソファーも、常に手入れが行き届いています。一般的にはアンティークに分類される古い家具なのですが、家具職人による丁寧な作業と技が随所に見られ、さらにアンティーク家具特有の重厚なツヤが見られます。
なお応接室に入るためには、日光東照宮の陽明門を模した門をくぐります。世界遺跡にも指定されている日光東照宮は宮大工の技術の高さを示す重要な建造物ですが、それを模して作られているため、見た目の迫力もばつぐんです。
さらに細部に至るまで細かな装飾が施されており、大阪の料亭にいるはずなのに応接間に続く陽明門を目の前にすると、日光東照宮にお参りに来た感覚になります。
なお豪華な装飾は座敷や応接間などだけではありません。大阪・鯛よし百番のトイレは「清浄の間」と呼ばれているのですが、そのトイレにも豪華な天井装飾が施されています。
トイレの壁面はシンプルなタイル張りとなっているので、そこだけを注目する大正時代に多く建てられた西洋様式建築の特徴が見てとれます。
ところが視線を天井に移すと、そこには色鮮やかな日本画風の装飾が天井全面に描かれています。つまり一般的な飲食店では「トイレは落ち着いた雰囲気で」と考えるのが一般的ですが、元遊郭の大阪の・鯛よし百番にはそういった考えは初めからなかったというわけです。
日本全国の名所がテーマになった内観
遊郭として営業していた当時の建物をそのまま利用している料亭として有名な大阪の鯛よし百番ですが、内装については大規模な工事を行っています。
しかも内装工事には、京都の有名絵師や大工の棟梁たちを呼び寄せ数年かけて行われたといいます。さらにこのときの内装工事では、それぞれが趣向の異なる部屋になるように座敷の大改造も行いました。
遊郭として使われていた時代は奉公人や調理場として使われていた鯛よし百番の1階ですが、現在は1階・2階ともに客室が用意され、部屋の数は全部で18部屋あります。
この中で最も豪華なのが「桃山殿」と呼ばれる1階の大宴会場で、部屋の壁は黄金色、装飾も桃山時代に多く見られるド派手な装飾が随所に見られます。
2階にも数多くの部屋がありますが、上がる際に使われる階段には「三条大橋」と書かれているので、ここで場面は大阪から一気に京都へと移動します。
さらに2階の回廊沿いの部屋は東海道五十三次の各場面をテーマにした小部屋が続いていますし、中には「喜多八の間」と呼ばれるカップルに人気の部屋もあります。
そのため鯛よし百番の店内を歩き回るともれなく全国の有名観光名所めぐりができるということなのですが、大阪の鯛よし百番にある部屋には「由良の間」「紫式部の間」など歴史的な人物の名前が付けられた部屋も存在します。
そのため大阪の鯛よし百番の部屋を巡り歩くと、全国観光巡りができるだけでなく、歴史的にも有名な時代にタイムスリップすることもできるのです。
「鯛よし百番」のおすすめ料理メニュー
数年の時間をかけて大々的に内装工事を行ったことで今では若い人も多く訪れる鯛よし百番ですが、実は「料理がおいしい」と評判の店でもあります。しかも単に美味しいというだけでなく、料亭とは思えないリーズナブルさも人気です。
ドリンクメニューも豊富に揃っており、値段も高級料亭とは思えないほどリーズナブルです。例えば生ビールなら1杯530円ですし、ウイスキーボトル角瓶も1本2900円で注文できます。
なお地元・大阪では「おいしい料理が居酒屋感覚で楽しめる店」としても有名で、懐石メニューや鍋メニューのほかにサイドメニューもあります。
もちろんサイドメニューの値段もリーズナブル&おいしいので、会席・鍋メニューに追加で注文する人もいます。(ただしサイドメニューのみのオーダーはNGです)
なお鯛よし百番では、料亭で一般的な席料・サービス料が一切不要なので、明瞭会計でおいしい料理をお腹いっぱい食べられるのも魅力です。そこで大阪・鯛よし百番のおすすめメニューをピックアップしてご紹介します。
会席料理のセット
料亭で食べるおいしい料理といえば懐石料理が外せません。懐石料理は5000円コースと6000円コースがありますが、どちらも旬のおいしい食材を使った目でも楽しめる料理です。
特選百番鍋(鰹だし)
大阪の鯛よし百番は「鍋料理がおいしい」という口コミが多数見られます。その口コミを裏付けるように鯛よし百番には鍋料理だけでも数種類あり、中でも特においしいと評判なのが特選百番鍋です。
かつおベースの特選百番鍋は、魚介類だけでなくおいしい肉も一緒に食べれます。しかも鍋を注文すると必ずついてくる付きだしも「おいしい」と評判です。
鯛ちり鍋(ポン酢)
名前にもついている「鯛」がメインの鍋メニューです。新鮮な鯛の身を分厚くカットしているので鍋でも食べ応えがあるメニューとして人気があります。
さらに食べるときにはポン酢をつけて食べるので、「脂がしっかりとのった鯛が最後までさっぱりと食べれる」と人気のメニューです。
すきやき(国産和牛)
「おいしい海鮮メニューもいいけど、たまにはおいしい肉をがっつりと食べたい」という人には国産和牛を使ったすき焼きメニューがおすすめです。
さしがしっかりと入った国産和牛を贅沢に食べられるメニューとして人気で、おいしい国産和牛がたっぷり入って1人3300円で食べれます。
オードブル+お造りセット
若い人に人気の懐石メニューが、オードブルタイプで懐石料理を楽しめる「カジュアル懐石」です。ご飯・吸い物・香物はついていませんが、先付・向付・焼き物などがつきますし締めには果物がついて1人4000円です。
なお向付では旬のおいしい魚介を使ったお造りセットがついてきますし、先付にも旬の魚介が使われることがあります。
ちなみにオードブルは若者でも食べやすい鶏唐揚げやウインナーなどがついてくるので、気楽に懐石料理が楽しめると若い人に人気のメニューです。
「鯛よし百番」の基本情報
大阪の鯛よし百番は高級料亭ですが、一般的に「高級料亭」と呼ばれる店は一見さんお断りのことが多いです。つまり「予約すればだれでもウェルカム」という店の姿勢が、大阪府民にも人気が高い理由の1つにあります。
営業時間・定休日
大阪の鯛よし百番は、毎週月曜日が定休日です。一応月曜日が休日にあたる場合も営業をしていますが、場合によって休みになることがあるので注意してください。なお忘新年会のシーズンには、月曜日でも営業する場合があります。
営業時間は17時~23時となっており、ドリンクメニューを含めラストオーダーは22時30分です。なお現在のところ、鯛よし百番でランチ営業は行っていません。
完全予約制
おいしい料理を楽しむだけでなく、歴史的価値の高い建物を観光することを目的に来店する客も多いので、大阪・鯛よし百番は完全予約制となっています。なおメニューも予約時にオーダーとなりますが、サイドメニューやドリンクメニューは当日注文ができます。
アクセス
元遊郭の大阪・鯛よし百番ですが、アクセスは非常に便利です。電車であればJR大阪環状線「天王寺駅」を利用するのがおすすめで、駅からは徒歩10分の場所にあります。なお地下鉄堺筋線「動物園前駅」からも徒歩10分です。
ただしいまだに遊郭としての雰囲気が街に残っている大阪・飛田新地ですので、いくら駅から徒歩10分の位置にあったとしても、女性のみで街を歩くのは非常に危険です。どうしても女性だけで来店する場合は、安全のためにもタクシーを利用してください。
駐車場情報
鯛よし百番には専用駐車場がありません。周辺にはコインパーキングもありますが、店からはやや遠いため、駐車場からは徒歩での移動になります。
この場合もわずかな距離でも女性のみで移動するのは危険なので、できるだけ電車とタクシーを利用してください。
鯛よし百番でおいしい料理と豪華な空間を堪能しよう
おいしい料理がリーズナブルな値段が食べられる大阪のディープワールド「鯛よし百番」は、五感で食事を楽しめるおすすめの場所です。たどり着くまではさまざまな危険がありますが、1度訪ねれば必ずその魅力にはまってしまう不思議な料亭・鯛よし百番にあなたも足を運んでみませんか?