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バルが生活の一部となっている国は、主にスペインやイタリアというのは前述した通りです。そして、前述させていただいたバルの印象はざっくりとした大きなものであり、バルを愛する国、スペインとイタリアの2国間でも、バルの印象はそれぞれの国で大きく違います。
では、スペインとイタリア、それぞれの国でバルはどのような違いがあるのでしょうか。詳しく解説していきます。
同じ「Bar」でも意味が異なる
単語のスペルは同じでも読み方に違いがあるということは前述した通りです。3通りの読み方があるように、「Bar」の意味、雰囲気も大きく3つに分かれています。
先ずは日本で最も馴染み深い呼び方である、英語読み「バー」です。認識と意味もおおむね一致しており、バーはお酒を飲むことがメインと言える場所です。夜のみの営業で、バーテンダーが在中していたりとお酒を楽しむことに特化していると言えます。
次のイタリアでの読み方「バール」はどのような意味と雰囲気なのかと言うと、例えるならばお洒落なカフェのような雰囲気です。
朝、昼、夜と全ての時間で営業しているカフェといった感じです。メインで取り扱っているものは、サンドイッチやベーグル等の軽食とカプチーノやエスプレッソとなります。ゆったりとお昼の時間を過ごすのはもちろん、朝早くから開店しているので朝食にもぴったりです。
バルの2大発祥の地のうちの1つとして挙げられるイタリアですが、スペインのバルとは大きな違いがあります。それは、スペインの方々は様々なバルを渡り歩くスタイルで楽しむことが基本なのに対し、イタリアの方々はお気に入りバールを見つけたらそのバール1か所を楽しむという違いです。
イタリアの方々は、自分のお気に入りのバールを「ミオ・バール(私のバール)」と呼び、愛用します。朝はもちろんミオ・バールでエスプレッソを楽しみ、昼もミオ・バールでパニーニを食べ、さらに夜にはミオ・バールに友人を招き軽くワインを楽しむといった具合にとても一途なのです。
イタリアのバールを観光で楽しむ際は、様々なお店を体験し、ミオ・バールを考えながら歩くとさらにバール楽しめることでしょう。
最後に紹介するのがスペインの読み方「バル」の意味と雰囲気です。バルも朝、昼、夜全ての時間帯で営業しておりますが、バールとの最大の違いは時間によってお店で提供するメニューや雰囲気がガラリと変わることです。
スペインのバルは1日のうちに何回も利用することを前提に営業しており、中には食事や休憩の度に全て違うバルに通うという方もいるほどです。バールとは違いが対照的です。
夜にはおつまみにぴったりの手軽な軽食と提供され、雰囲気は立ち飲みの居酒屋のようになります。そして、スペインのバルでは基本的に1か所に長くとどまるようなことはしません。次々と場所を変える、所謂居酒屋を転々とするはしご酒が基本の楽しみ方となります。
スペインの方々は、前述した通りバルを小腹満たしの意味合いで利用することが多いため基本は立ち食いスタイルですし、料理の量も多くはありません。
そのせいかスペインバルはとにかく値段が安いのも魅力といえます。もちろんお店によって差異はありますが、大体の相場はビール1杯が3ユーロ(概ね1ユーロが約120円ですので日本円で約360円)です。中には、同じお値段でタパスが1皿セットというお店もあります。
Barという単語は国や地域によって様々な意味を持った場所でしたが、全ての場所で共通している意味もあります。それは、様々な人々のコミュニケーションの場であるという意味です。
気軽に利用でき、気軽に人とコミュニケーションがとれるという意味でもバルは憩いの場と言うに相応しい場所でしょう。観光に訪れた際にも現地の人々とコミュニケーションを取る絶好のスポットですので思い出にもなりますし、語学勉強にも役立つこと間違いなしです。
バルの意味を知ろう!日本のバルブーム
日本にバルが数多く出来だしたことには大きなきっかけがあります。日本のバルの先駆けであるバーが数多く出店しだした1860年代から、震災や戦争といった数々の紆余曲折を経てバルは徐々にブームとなり広がっていきました。
本項では、バルというスタイルの居酒屋が日本で認知され、広まっていくまでの歴史を紹介していきます。
日本のバルの先駆けは、1860年代に外国人居留地で開業したバーだと言われています。バーから発祥していったと考えれば、日本のバルのイメージがバーと似ている点も非常に納得がいくことでしょう。
1番初めに開業した横浜ホテルのバーを皮切りに、東京には多くのバーが誕生します。しかし、1923年に起きた関東大震災で、この時代に開業していたバーの多くが大打撃を受け、さらに1939年から始まった第二次世界大戦でも追い打ちを受け、多くが廃業を余儀なくされてしまいます。
しかし、一時はバーを畳んだバーテンダー達は完全に諦めたわけではありませんでした。震災や戦争で各地に散り散りになってしまっていたバーテンダーたちが、終戦後の1949年動き出します。
1949年に何があったかと言うと、これまで配給制だったお酒の販売が自由化されたのです。この自由化を契機に、バーテンダーたちは息を吹き返し、全国各地でバーを再起したのです。
サントリーが国産ウイスキー「トリス」の販売を開始したり、様々な洋酒を混ぜ合わせた「カクテル」が流行したりと、居酒屋界も激動の時代に突入していきます。生き残りをかけた生存戦争の中、カジュアルで柔軟性のある営業をしているバルが注目を集め出します。