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この西都原81号墳発見は、日本最古級の古墳であることが判明しただけでなく、これまで言われていた大和政権主導によって古墳文化が成立したとする説が覆るような大発見となりました。
西都原古墳群の神話や言い伝え
最古級の古墳がある人気観光スポットの「西都原古墳群」は、神話や言い伝えが残る歴史ロマンあふれる地でもあります。
ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメにまつわる物語が残る西都原にある「記紀の道」では、「古事記」と「日本書紀」の伝承地を散策することができる道としておすすめの観光スポットです。
西都原古墳群と邪馬台国の関係
神話の息吹を感じる「西都原古墳群」は、邪馬台国との関係もある古墳群です。邪馬台国の所在地は、これまで様々な説が挙げられており、いまだ判明していません。
そんないくつかある邪馬台国の所在地説の中に、鹿児島県と宮崎県の南九州説があります。その南九州の「西都原古墳群」が、邪馬台国の都であったというのが、この南九州邪馬台国説です。
「日本書紀」や「古事記」の伝承が残り、さらに邪馬台国の都であったかもしれない「西都原古墳群」は、まさに歴史ロマンあふれる観光スポットです。
西都原古墳群のシンボル!男狭稲塚・女狭稲塚古墳
日本神話や邪馬台国とも関係のある日本最古の古墳がある「西都原古墳群」ですが、中でも西都原古墳群のシンボルと呼ばれるのが「男狭稲塚(おさほづか)」と「女狭稲塚古墳(めさほづか)」です。
「西都原古墳群」の中でも人気観光スポットの「男狭稲塚(おさほづか)」と「女狭稲塚古墳(めさほづか)」とは、どういった古墳なのでしょうか?
「男狭稲塚」は、古来から地域の信仰の対象とされており、「可愛塚(えのつか)」と呼ばれ、天孫ニニギノミコトの御陵であるという伝承が伝わっています。
皇室の先祖と関係があることから、宮内省は明治28年12月に、「女狭稲塚」も含めた3万2千坪の地域が陵墓参考地に指定されています。
「男狭稲塚」は、墳丘の長さ175mという国内最大の帆立貝形古墳です。埋葬されている人については、髪長媛(かみながひめ)の父、諸方君牛諸井(もろかた のきみうしのもろい)と考えられています。地元の伝承では、ニニギノミコトの墓と伝えられています。
「女狭稲塚」は、墳丘の長さは約180mあり、九州最大の前方後円墳です。埋葬されている人物は、「日本書紀」に記載されている仁徳天皇妃の髪長媛(かみながひめ)とも考えられています。伝承 では、コノハナサクヤヒメの墓と伝えられています。
ここも知っておこう!鬼の窟古墳
邪馬台国と関係があり、さらに最古級の古墳がある人気観光スポットの「西都原古墳群」には、「鬼の窟(おにのいわや)古墳」があります。この「鬼の窟古墳」とはどういったものでしょうか?
「鬼の窟古墳」は、直径37m、高さ7.3mの西都原古墳群で唯一の横穴式石室を持つ円墳です。墳丘の外側に土塁をめぐらせている「鬼の窟古墳」は、7世紀初頭に造られたといわれています。
このように土塁をめぐらせた古墳は、奈良県の「石舞台古墳」などにも見られますが、全国でもきわめて珍しいものです。石室は巨石で組み上げられており、この巨石にまつわる伝承も伝えられています。
西都原考古博物館で西都原古墳群を知ろう
宮崎県西都市にある「西都原考古博物館」という博物館があります。邪馬台国とも関係があり、日本最古級の古墳がある人気観光スポットである「西都原古墳群」について、より詳しく知るなら「西都原考古博物館」がおすすめです。