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「ねぶた祭り」起源の一説として、中国から渡来した「七夕祭」に由来があるという考えがあります。「七夕祭」は、710年から794年の間、つまり奈良時代に中国から伝えられたとされています。
津軽にあった精霊送り
また、津軽にも古来から「精霊送り」の行事が存在していました。「ねぶた祭り」の由来は、「七夕祭」と「精霊送り」が混ざり合ったものだという説があります。
もともと「ねぶた祭」は「七夕祭」の形態を取っていました。そこに出てくるのが、「ねぶた」という灯籠だったのです。「七夕祭」は7月7日に穢れを流す禊として灯籠を流しました。それは「ねぶた流し」と呼ばれ、現在「ねぶた祭」の海上運行の由来となっています。
青森・ねぶた祭りの見どころ
ここからは、青森の「ねぶた祭り」に訪れたらぜひ注目してもらいたい、大きな見どころについてご紹介していきます。
ねぶたを乗せた山車
青森の「ねぶた祭り」における最大の見どころは、なんといっても主役の「ねぶた」にあります。人物や動物の描かれた灯籠である「ねぶた」を、屋台や台車に乗せて街を練り歩きます。
最大で高さ5m幅9m奥行き7m
「ねぶた」は最大で、高さが5m、幅9m、奥行き7mにもなります。「ねぶた」に描かれる絵は、歴史的な物語を題材にし、そこから構想を練り上げていきます。構想がまとまってくると、設計図として鉛筆で下書きをして色も付けます。
大型の「ねぶた」を作るには、作業をするための広い場所も必要になってきます。「ねぶた」の製作と保管の場所として、間口12m、奥行き12m、高さ7mもの小屋が作られるのです。
まずは顔や手、足、刀などの細かい部分を作ってから、本体の製作に取り掛かります。本体はまず角材で支柱を作り、紙を貼れるようにするため針金や糸で形を作っていきます。昭和30年頃までは、針金の代わりに竹を使って骨組みをしていたそうです。
「ねぶた」は灯籠なので、中から光るようにしなくてはなりません。昔はろうそくを使っていたそうですが、現在は電球や蛍光灯を800個から1000個ほど取り付けています。骨組みが出来上がると、そこに奉書紙を貼っていきます。
奉書紙とは、お布施や弔辞などに使われる分厚い紙のことです。歴史的に見ると、古文書としても使われていた紙なので、伝統を重んじる歴史のあるものとなっています。
奉書紙を貼ると、そこに顔や手足、着物などの柄を墨で書き込んでいきます。また、ろうを溶かして模様を付けることで、明るさが付き、色がにじむのを防いでくれます。
書き込みが終わると、残った白い部分には色を付けていきます。染料は水性顔料が使用され、筆書きやスプレーで色を載せます。これで「ねぶた」の本体は完成となるのです。
最後に、装飾の施された高さ2mの山車に40人から50人がかりで「ねぶた」を載せていきます。このようにして、お祭りの主役であり大きな見どころである「ねぶた」は、多くの人の手によって作り上げられています。
「ハネト」と呼ばれる踊り手
青森の「ねぶた祭り」では、「ハネト」と呼ばれる踊り手も見どころの一つです。「ハネト」は漢字で「跳人」と書きます。これは、「ねぶた祭り」の踊り方に由来します。片足で2回ずつ跳ぶのを繰り返すことから、「跳ねる人」で「ハネト」と呼ばれています。
「ハネト」は「ねぶた」1台につき500人から2000人が付き添いながら練り歩き、開催時期全体で、およそ9万人もの人が「ハネト」として「ねぶた祭り」を盛り上げています。
「ラッセランド」の前夜祭
「ねぶた」の製作小屋である「ラッセランド」も見どころです。青い海公園では、大型の「ねぶた」を作るために建てられた製作小屋がたくさん立ち並ぶ様子を見ることができます。