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豊臣の家臣であった毛利輝元に仕えた吉川広家により錦川を見下ろす山の頂きに築城されました。本丸を中心に北の丸と二の丸を配して周囲に5基の櫓を設けた他に類を見ない山城でした。
しかし、岩国城は江戸幕府による一国一城令により僅か7年で廃城となった悲劇の城でもあります。
築城後7年で取り壊される
1615年(慶長20年)に諸大名に対して命じた一つの藩に対しては城は一つのみを定めた法令である一国一城令、岩国城はまさにこの法令により築後7年で廃城となりました。それは江戸幕府が外様大名の反逆を恐れ戦力を削ろうとしたことが発端でした。
しかし岩国城は廃城されましたが、街は城下町としてその後も栄え続け今日のような観光スポットに至っています。
現在の天守は再建されたもの
岩国城は1961年(昭和36年)に「天守構造図」という絵図を参考に復元工事が始まり、1962年に四層六階のコンクリートで天守閣が再現されました。
戦国の時代には見張りの役割もしていた岩国城ですが、近代になり錦帯橋からの眺めも考慮して天守を移動して再建築されました。
これにより美しい岩国城をどの角度からでも楽しめるようになったのです。錦帯橋から見上げる岩国城が見どころなのはこうした理由からでした。
錦川を天然の外堀にしていた
1600年、関ヶ原の戦いで主君毛利家への忠義が認められ、初代藩主となった吉川広家は不安定な情勢から領地内に山城を築くことを決めました。そこで錦川を外堀として使い防御型の街づくりを推し進めたのです。
これにより岩国城は山陽道を見張ることができる要の城としての役割も担うことになりました。
岩国城の詳細
岩国城の桃山風南蛮造りの天守閣には見どころでもある錦帯橋の精密模型をはじめ、写真、武具や甲冑などが展示されています。
また人気スポットである天守閣からは吉香公園、城下町、錦帯橋から岩国市内が一望でき、遠くは瀬戸内海の島々や四国、宮島まで見ることができます。
岩国城は完全に東向きなので午前中の撮影が最適です。さらに錦帯橋に観光客がいない時を狙うなら、早朝が光もよく適していますから河原に降りてみましょう。復興天守からは瀬戸内海まで眺望が素晴らしいのですが、その風景は西を望むことになるので午後がおすすめです。
錦帯橋と岩国城の見どころにライトアップがあります。おすすめは日没頃からで、毎日午後10時まで行われています。時期によって錦帯橋のライトアップは色が変わる趣向で、特に桜の季節は青のライトアップが幻想的な雰囲気になります。日が落ちてからの岩国城はおすすめです。