マニアにおすすめ・東京の廃墟スポット13選!雰囲気抜群の場所はどこ?

廃墟

東京都内には合法的に探索できる廃墟がたくさんあります。

旧台東区立下谷小学校など都心に近いノスタルジックな廃校から、森の奥の廃集落までさまざまな合法廃墟を紹介します。

東京都内にある雰囲気抜群の廃墟に、思いをはせてみましょう。

目次

東京都の様々な廃墟スポットをまとめました

一見廃墟とは無縁に思える日本の中心部である東京都内ですが、ノスタルジックな気分に浸れる素敵な廃墟がたくさんあります。

心霊スポットでも知られる廃ホテルの奥多摩寮や校舎に絡まるつたが美しい廃小学校の旧台東区立下谷小学校など、マニアでなくても魅力的な廃墟がたくさんあります。

時代が止まったかのように今も東京都内でひっそりと佇む廃墟は、静かな恐怖を感じるとともにどこか寂しい気持ちにもなります。

都内の合法ノスタルジックスポットが多い

廃墟と聞くと、立ち入ってはいけないエリアだと思いがちですが、東京都内には合法的に立ち入って見学可能な廃墟があります。

堂々と見学できますが、建物を壊さない、近隣の住民に迷惑をかけないなど最低限のルールは守って、東京都内のノスタルジックな合法廃墟探索を楽しみましょう。

しかし、すべての廃墟が合法というわけではありません。

安易な廃墟への侵入は、不法侵入として逮捕される場合があります。

持ち主のいない廃墟といえども、勝手な立ち入りはやめましょう。

東京都廃墟スポット:廃ホテル・廃住居

多くの観光客で賑わっていただろう旅館やホテルの廃墟は、探索するには十分わくわくするものです。

廃墟内に残った机やいす、風呂場やキッチンなど、一つ一つの部屋を順番に見ていくと時間がたつのも忘れてしまいます。

廃ホテルや廃住居は、個性があり長い時間探索できる廃墟としてマニアの中では人気のあるジャンルです。

東京にある個性豊かな廃ホテルや廃住居を紹介します。

1:奥多摩寮

奥多摩寮は東京の奥多摩の山奥に存在する3棟の建物からなる廃墟です。

東京の馬の水のみ場付近にある寮で、洋風に改築された建物は当時はおしゃれな建物であったことがうかがえます。

寮としての建物と経営する家族の住む建物があり、後者の内部はほぼ何もなく外枠のみが残っている状況です。

一方寮として機能していた建物内には非常に多くの残留物があり、昭和の時代で時間が止まったかのような錯覚を覚えます。

レトロな電化製品や古い日付のカレンダー、今は見かけない旧パッケージの商品など、ひとつひとつに歴史を感じられます。

廃墟化した時期など詳細は不明ですが、廃墟となってからかなり年月が経っているようで、荒廃が進んでおり一部はすでに崩れてしまっています。

探索する際には足元に十分注意しましょう。

有名心霊スポット

奥多摩寮は東京都内にある心霊スポットとしても有名な廃墟です。

雑然とした大量の残留物が残る施設内は、東京の心霊スポットとして噂されるには納得の廃墟です。

人のいた痕跡が色濃く残る奥多摩寮は、かつての寮生の怨念が今も住み着いているのかもしれません。

2:大岳山荘と台湾寺院

大岳山荘と台湾寺院は奥多摩町と檜原村の境にある大岳山の山頂付近に存在した山小屋と寺院の廃墟です。

大岳山荘は登山者の宿泊施設として東京都によって管理されていましたが、のちに台湾寺院により管理され、2008年にその管理者が亡くなってからは廃墟となってしまいました。

大岳山荘は今も有志が清掃活動や管理を行っており、内部は比較的整頓され避難所にも利用できます。

台湾寺院は台湾の方により作られたといわれており、タジンの鍋のような屋根を持った独特な建築構造です。

神聖な雰囲気をまとった山の中の廃墟は、恐怖というよりも不思議で洗練された気持ちにしてくれるでしょう。

ヘリポートは危険なため閉鎖

大岳山荘の隣には寺院を作る資材を運び込むためのヘリポートがあり、展望台としても人気がありました。

しかし、現在は老朽化のため崩落の危険性が高く、安全面を考慮しヘリポートへの立ち入りは禁止されています。

3:風林亭

風林亭は2000年代に火事により廃業となったと噂される焼肉店の廃墟です。

コンクリートの簡素な建物で、東京都の多摩湖周辺の高台に存在しています。

廃墟までの道のり静かな道路から草木が生えている道を進まなければなりません。

2011年、納骨堂にする計画のためたくさんの土砂を運び込んだことで、東京都自然公園条例違反の罪で地権者が逮捕されるという事件があり、今も生まれ変わることはなく手つかずのまま放置されています。

4:鍾乳苑

鍾乳苑は、心霊スポットとしても有名なテレビの心霊番組にも使われたことのある旅館の廃墟です。

東京の奥多摩に存在し、建物は斜面に取り付けられるように建っています。

老朽化がかなり進んでおり危険なため、安全に注意して探索しましょう。

閉業時期など不明な事柄も多く、いろいろなうわさが飛び交っている謎に満ちた廃墟となっています。

5:八丈温泉ホテル

八丈温泉ホテルは、東京から飛行機で45分の場所にある離島 八丈島にあったホテルの廃墟です。

今現在も人気のある八丈島ですが、昔は日本のハワイとして多くの観光客で賑わいました。

八丈島温泉ホテルは温泉が枯れてしまったため閉業しましたが、比較的きれいなままで姿を残している廃墟です。

八丈島温泉ホテルも、大きなジャグジープールやジャングル風呂など東京都内にいながらもリゾート気分を満喫できる施設が売りでした。

館内は増築が重ねられ迷路のような作りになっており、増築中などに縄文時代の遺跡が2度も発掘されたことでも有名です。

東京都廃墟スポット:廃路線・廃橋

土地を結び、人や物を運ぶ橋や電車は人々の生活には欠かせないものです。

しかし、時代とともに使われなくなった廃路線や廃橋の痕跡が東京都にはあちこちにあります。

東京という都会の道路わきに取り残された錆びた線路跡は、寂しい雰囲気をかもしだしています。

1:奥多摩湖ロープウェイ

奥多摩ロープウェイは廃墟好きの間では有名なロープウェイ跡です。

運行していた期間がわずか4年という短い年月だった幻のロープウェイ跡は、今も東京都奥多摩地区の一角に草木に囲まれひっそりと存在しています。

1970年代に廃止された奥多摩ロープウェイはみとうさん駅とかわの駅を結ぶ観光用のロープウェイでした。

どちらの駅舎も残っており、当時の切符売り場やトイレ、運転室などがノスタルジックを感じる遺跡となっています。

中でも当時のレトロなデザインのゴンドラが目を引きます。

みとうさん駅までの道はかなり険しいですが、かわの駅には比較的簡単にアクセスできます。

2:東京都港湾局専用線 晴海線

東京都港湾局専用線 晴海線は1989年に廃線になった、越中島貨物駅から晴海ふ頭の間を通る小麦や大豆、雑貨を運んでいた貨物線でした。

今はほとんど姿を見られなくなってしまいましたが、街中のいたるところに錆びた線路跡を確認できます。

中でも一番大きな東京都港湾局専用線 晴海線の痕跡が、豊洲の近くに東京湾をまたぐようにかかっている晴海橋梁です。

鉄道橋らしい美しいアーチを描いた遺構は、間近で見るとかなり迫力があります。

東京都港湾曲専用線 晴海線は人道橋や公園に改造し利用するという計画が出ていましたが、老朽化や修繕費などの問題から具体的にはなっておらず、今現在も廃墟のままとなっています。

3:青海橋

青海橋は、自動車の通行が禁止され現在は使われなくなった地図に載っていない橋です。

有明橋と夢の大橋の間に位置し、1991年から1994年のわずかな期間だけ使われていました。

東京の都心にありアクセスもしやすく、徒歩や自転車での侵入は可能で合法で立ち入れる廃墟です。

見た目は雑草が生えている部分もありますが閑散としており、比較的新しい橋にもかかわらず長い年月を感じさせるような雰囲気があります。

東京都廃墟スポット:廃集落

集落とはその場所だけのしきたりやルールなどがあり、言葉の響きだけで怖いものです。

東京都内には今は廃墟となった集落があります。

廃墟のある場所で、人が生活していた痕跡が確かに存在します。

かつての住民が残していった生活の跡は不思議な気分にさせてくれるでしょう。

峰集落は廃墟までの道のりが険しく、まさに廃墟への冒険を楽しめるスポットです。

もう一つの港区虎ノ門5丁目の廃墟は東京都内でもアクセスしやすく、探索しやすい廃墟となっています。

東京の廃墟スポット1:峰集落

峰集落は奥多摩地区の山奥にある1972年に廃村になった集落跡の廃墟です。

青梅線のレトロな鳩ノ巣駅から、急な坂道や険しい山道を1時間以上進んだ先に存在します。

時代が進むにつれ、山奥という不便さや就職や通学の問題が浮き彫りになり、廃村となった経緯があります。

廃墟には、かつての集落の名残があちこちに散らばっています。

立派な家があったとうかがえる石垣の跡や井戸、ガスボンベや子供のおもちゃなどを見ているとノスタルジックな気分になることでしょう。

中でも存在感を放っているのが、日天神社という祠です。

廃墟となった今でも土地を見守っています。

東京の廃墟スポット2:港区虎ノ門5丁目

東京都内の廃墟の中で一番大規模だといっても過言ではないのが、港区虎ノ門5丁目の廃墟です。

神谷町駅の西側のエリアが廃墟というよりゴーストタウンと呼ぶのにふさわしい場所です。

町の大部分が廃墟となった経緯には、バブル崩壊が大きくかかわっています。

日本がまだ景気がいいころ、森ビルが虎ノ門や麻布台一帯を買い取り大規模な開発を行おうとしていました。

住民は住家を追い出されたうえ、バブルが崩壊したことにより開発は中止され空き家だけが残ったのです。

昭和の時代で時が止まったような廃墟エリアと、廃墟エリアから見える都会的な高層ビルは異様な光景です。

路地を覗くとノスタルジックを感じられる部分もあり、廃墟マニアにはいい散策スポットです。

ほとんどの家屋が入り口などにべニア板を張り付けてあるため、建物内には侵入できません。

東京都廃墟スポット:廃小学校

現在の日本は少子化が進んでおり、東京都内でも廃小学校が増えてきているのが現状です。

しかし、廃小学校のノスタルジックな雰囲気を利用したカフェや宿泊施設など、廃墟の中で最も有効活用されているのが廃学校です。

東京都内の上野駅近くにある旧台東区立下谷小学校もその一つです。

東京の都心の中に取り残された旧台東区立下谷小学校は、ほかの廃学校とは少し違った再利用の仕方をされています。

旧台東区立下谷小学校

旧台東区立下谷小学校は校舎全体がつたに覆われたノスタルジックな雰囲気のある都内の小学校の廃墟です。

築90年以上にもなる旧台東区立下谷小学校は、東京都内を襲った関東大震災の復興のために建てられました。

上野駅から徒歩3分という、アクセスしやすい合法で見学できる廃墟です。

旧台東区立下谷小学校は1990年に清島小学校と合併し、上野小学校となり廃校となってしまいました。

今現在、旧台東区立下谷小学校は避難所や区役所のクラブ活動などに使われています。

すっかり古くなった旧台東区立下谷小学校ですが、校舎のあちこちに当時の面影を垣間見られます。

かつての子供たちの元気な笑い声があふれていた旧台東区立下谷小学校を思い描いて、ノスタルジックに浸ってみてはいかがでしょうか。

東京都廃墟スポット:廃地下壕

廃墟スポットとしてそれほど代表的ではない地下壕ですが、太陽の当たらないじめっとした空気感や戦争などに関連する暗い歴史など、マニアにとっては心惹かれるものがある場所です。

東京都内にある浅川地下壕も、合法で見学可能な秘密めいた歴史のあるミステリアスな廃墟となっています。

浅川地下壕

浅川地下壕は東京都内の八王子市にある戦争遺跡です。

1941年から始まった太平洋戦争の飛行機のエンジンを作る会社の疎開先の工場として1944年に作られました。

300台の機械が運び込まれたといわれており、かなり大規模な地下工場であったことがうかがえます。

戦後にはワインの貯蔵庫として、またマッシュルームの栽培に利用されたりしたようです。

近年はたくさんのダイナマイトが見つかったこともあり、戦争の歴史を考えさせられる廃墟となっています。

「浅川地下壕の保存をすすめる会」で見学

浅川地下壕は合法で内部見学が可能な廃地下壕です。

見学するためには1997年に浅川地下壕を戦争遺跡として保存するために発足した「浅川地下壕の保存を進める会」が行っている月1回の見学会に応募しなくてはいけません。

貴重な体験ができる見学会にぜひ参加してみましょう。

東京都廃墟スポット:廃基地

東京都内には戦争の爪痕を実感できる廃基地がいくつかあります。

日本が戦争に負け、米軍に土地を占領されたという歴史は廃墟として残っています。

東京都内の立川市にある廃墟もその一つです。

発展していく街の片隅に取り残された廃基地は、ノスタルジックな雰囲気をまとっています。

米軍立川基地

米軍立川基地はもともとは立川飛行場として使われていました。

1945年から1977年の間、米軍に占領され米軍立川基地として使われていましたが、返還されてからは商業施設などが立ち開発が進んでいます。

今現在は森と化した一角に建物の一部や煙突などが確認できます。

東京の廃墟スポットに行ってみよう!

東京都内には奥多摩寮や旧台東区立下谷小学校など、合法的に見学できるノスタルジックな廃墟がたくさんあります。

廃墟ひとつひとつに歴史や誰かの思いが詰まっています。

東京都内の合法廃墟に足を踏み入れる際は、遊び半分ではなく、静かにルールを守って探索しましょう。

※ご紹介した商品やサービス等は時期や店舗によっては取り扱いがない場合があります。内容・価格が変更になる場合や終了になる可能性もあります。

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