山梨県のガリバー王国が廃墟になった理由とは!心霊スポットになったのは本当?

モノクロの木々

廃墟となったテーマパーク「富士ガリバー王国」を知っていますか。多額の融資で開園したものの、様々な理由から現在は廃墟になっています。心霊スポットとしての噂やとある宗教団体による風評被害などもあり、さまざまな話題に事欠かないガリバー王国の全貌をご紹介します。

目次

富士ガリバー王国ってどんなところだったの?

富士山
Photo by jouer

ガリバー旅行記は、ジョナサン・スウィフトによる物語です。特に有名なシーンは、船長のガリバーが小人の島に不時着してしまい、珍しがる住民の小人たちに全身を地面に貼り付けられてしまうところではないでしょうか。

その「ガリバー旅行記」をテーマとしたファンタジーなテーマパーク「ガリバー王国」がかつて山梨県の富士山の麓にありました。

ガリバー王国は閉園後しばらく、当時の建築物が廃墟となった状態で残り、その独特な雰囲気により話題になっていました。かつては山梨県屈指の心霊スポットだという噂もあり、廃墟が取り壊された現在でも度々話題に上がる場所です。

富士ガリバー王国は1997年に開園しました。1990年代初頭はバブルに日本が浮かれていた時期で、各地にテーマパークが多く建設されていましたが、ガリバー王国はやや遅い時期の開園だったことがわかります。

ちなみにガリバー王国は新潟中央銀行が主導した融資プロジェクトのひとつです。他には「新潟ロシア村」「柏崎トルコ文化村」といった、ガリバー王国と同じく異国情緒をテーマにしたテーマパークを運営していました。

現在、ガリバー王国の全貌を確認するのは難しいですが、閉園寸前のガリバー王国のホームページがキャッシュで残っており、そこで当時の様子を確認することができます。

かつての山梨県西八代郡上九一色村にあった

富士ガリバー王国があったのは、富士山の麓である山梨県上九一色村でした。富士五湖のひとつである本栖湖、景観地である鳴沢氷穴、そして青木ヶ原樹海が近くにあります。

ちなみに上九一色村は、現在は山梨県の甲府市と富士河口湖町に分割・合併されました。よって現在は上九一色村という名称は使われておらず、ガリバー王国跡地は山梨県富士河口湖町にあります。

ガリバー王国のあった場所は、富士山の登山口である富士宮や富士吉田ほか、主要観光地に遠く、また鉄道が一切通っていないため山梨県内からですらアクセス方法が限られているような場所でした。加えて、後述する理由から、風評被害がついてしまった場所でもありました。

ガリバー王国の近郊・山梨県の富士山周辺には「富士急ハイランド」があり、この時期にはすでに知名度があったことから、テーマ性は異なるものの図らずも競合状態になってしまいました。

富士急ハイランドは「ドドンパ」「FUJIYAMA」といった話題のアトラクションに力を入れ始めたことと、首都圏からのシャトルバスの運行などアクセスの向上に力を入れていたことが、ガリバー王国との明暗の差をわけたひとつの理由であるといわれています。

施設内は5つのテーマに分かれたゾーン

オープン当時のガリバー王国は、5つのテーマに分かれていました。ガリバー王国のランドマークである、45mもの巨大なガリバーが横たわっているモニュメントを中心として、北欧やおとぎの国をモチーフにした街並みが広がっていました。

ガリバー王国のゲートをくぐって目に入るのが、北欧・ニューハウンの美しい街並みを再現した「北欧村」です。北欧をモチーフにしたショップでは民芸品や物産品のショッピング、レストランやカフェでは北欧料理を楽しめました。

またスカンジナビア広場にある「ファンタジナビア劇場」では、本場の北欧からやってきたダンサーによるアクロバティックショー「ミレンドゥサーカス」を開催していました。広場周辺でもガリバー王国のキャラクターとグリーティングが楽しめたそうです。

また、北欧村にある「キディパーク」はキッズ向けの遊園地でした。子供でも乗れるゆるやかなアトラクションや、園内を周遊する列車が運行されていました。

園内最大の湖・ガリバー湖に浮かぶのは「ガリバー島」です。これはガリバー旅行記に登場するリリパット国をモチーフにした小人たちの街です。この島の中央でガリバーが横たわり、我々は小人と同じサイズになってこの島で過ごします。

この島には、ガリバー旅行記の物語を人形劇で上映する「ガリバー劇場」、幽霊船の中に迷い込むホラーでスリル満点な「謎の幽霊船~暗黒の海~」といったアトラクションがありました。他にも人気のアトラクションが集約されていた、ガリバー王国の中でも人気のエリアでした。

「ふれあい牧場」は、自然との共生をテーマに、北欧の貴族の庭園をモチーフにしたエリアです。ウサギやリス、ワラビーといった動物と触れ合って遊べました。また実際に酪農体験ができるほか、地元山梨県の酪農品を使った製品を買うこともできたそうです。

そして世界初・アミューズメント用のボブスレーコースがあった「ボブスレーランド」です。90mもの氷のコースを滑走するインドアリュージュ、30mの高さからガリバー王国を見渡せる空中散歩といったアクティビティが用意されていました。

そして、ガリバー王国最大の目玉である大型観光用気球「ジャイアントバルーン」は、直径22m、高さ30m、最大高度150mもの高さから富士山嶺や山梨県の平野一帯を一望できるというアトラクションになる予定でした。

しかし、このジャイアントバルーン完成前にしてガリバー王国は閉園してしまい、このプロジェクトが実現することはなかったそうです。

富士ガリバー王国・関連施設もあった

もともとこの周辺には、ガリバー王国と同じ新潟中央銀行によって、会員制ゴルフ場とリゾートホテルがありました。富士ガリバー王国開園に先だった1995年にはオープンしており、ガリバー王国が開業してからは関連施設として営業していました。

それぞれの運営会社はいずれも新潟中央銀行のファミリー企業で、銀行の融資によってこれらの施設およびガリバー王国を営業していました。

富士中央ゴルフ倶楽部

旧上九一色村、現在の富士河口湖町にある会員制のゴルフクラブです。108万平方メートル、富士山を目前に臨む丘陵コースを中心としたロケーションのよいゴルフ場でした。

新潟中央銀行の経営破綻後、「壮快美健館 富士1ばんゴルフ」というパブリックゴルフ場になり、そののち競売で大手不動産デベロッパー会社が落札、紆余曲折を経て現在の運営形態になりました。

現在は「富士クラシック」という名前で営業しています。行き届いた整備に景色がいいことからゴルフ愛好家の中でも話題のゴルフ場になっています。

本栖高原ホテル

旧ガリバー王国からも近い、県道富士宮鳴沢線沿いにあるリゾートホテルです。本栖温泉が湧き出る「富士山の見える露天風呂」を売りにしており、その通り富士山の雄姿を眺めながら風呂を楽しめるホテルでした。

こちらも富士中央ゴルフ倶楽部同様に経営破城後に一度閉館、ゴルフ場と同じ企業に落札され、現在は「富士ホテルクラシック」という名前で営業しています。高原を眺めながらリゾート気分で楽しめます。

富士ガリバー王国・4年で閉鎖し廃墟になった理由

富士ガリバー王国は開園から4年後の2001年10月に閉園してしまいました。2000年に経営難により一度休園、その後数回再開しましたが、客足が戻らず閉園という形になりました。

ガリバー王国の開園当時、入園料は大人3900円、子供2200円という料金でした。最終的には大人1500円、子供800円にまで値下げされましたが、結局集客が復活することはありませんでした。

富士ガリバー王国が開業当時から集客がうまく立ち回らなかったのには、様々な理由があったようです。

オウム真理教の拠点近くにあったから

かつて山梨県上九一色村には、オウム真理教のサティアン(宗教施設)がありました。そのサティアンは、なんと富士ガリバー王国からわずか3kmの場所にあったのです。

オウム真理教とは麻原彰晃(松本智津夫)を教祖とし、1988年から1995年にかけて活動した宗教団体です。魂を救済するという理由から「ポア」を大義名分とし、殺人をはじめ多くの事件を起こしました。

山梨県上九一色村には1989年からオウム真理教のサティアンがあり、多数の出家信者が居住し、修行の場としていました。サティアンは全国にありましたが、この周辺はひとめにつきづらく広大な土地があるという理由から、修行の中心として使われることが多くなりました

オウム真理教は次第に暴走し、坂本弁護士一家の殺害事件、一般市民を巻き込んだ松本サリン事件などの凄惨な事件を起こしていきます。また信者間においても、過剰な洗脳、脱退者に対するリンチ・殺人などが行われていました。

オウム真理教は数々の事件を起こし衝撃を与えた

オウム真理教は日本各地で数々の事件を起こしましたが、中でも最も世間を震撼させたのが地下鉄サリン事件でしょう。1995年3月20日、東京都の地下鉄の通勤電車に神経ガスであるサリンが撒かれ、多くの死傷者を出しました。

この事件に使われたサリンが、この上九一色村にある第7サティアンで製造されていました。この地下鉄サリン事件の2日後の3月22日、上九一色村に多数存在したオウム真理教のサティアンに警視庁の強制捜査が行われました。

化学防護服を着用した数百名の警察官や自衛隊が出動し、サティアンに突撃する様子はTVで繰り返し報道されました。今でもその緊迫の瞬間が脳裏に焼き付いているという方も多いのではないでしょうか。

この捜査で複数人の信者が逮捕、そののち教祖の麻原彰晃も逮捕されるに至りました。この連日に及ぶ報道により、上九一色村が「オウムのサティアン」として全国的に話題になるきっかけになりました。

上九一色村はこのオウム真理教の負のイメージからの回復を図って、1997年にガリバー王国を誘致しました。しかし「ガリバー王国にもオウムの息がかかっているのではないか」などという噂もたち、結局上九一色村に染み付いたイメージは拭い去れませんでした。

アクセスが非常に悪かった

ガリバー王国が集客に苦戦したのは、この上九一色村が山梨県の中でも特にアクセスが悪かったというのももう一つの理由とされています。

まず上九一色村には鉄道が通っていらず、最寄りの駅からも20km以上あります。シャトルバスは一応運営されていたようですが詳細は不明です。これらから推測するに、交通機関で行くことはほぼ不可能だったことが伺えます。

もしガリバー王国に車でアクセスする場合も、中央自動車道の河口湖ICから30分、東名高速道路の富士ICからは60分と、これまた高速から離れた位置にありました。

このように、電車でも車でも非常に遠く、また周辺にリゾートホテル以外は何もないという不便な立地条件も、人々の足が遠のいた理由の一つとなってしまいました。

自殺の名所が近くにあって人気のない場所だった

実は高速道路を降りてからガリバー王国までの道すがら、自殺の名所ともいわれている「青木ヶ原樹海」があり、それもまたネガティブな印象を植え付けた理由の一つとされていました。

青木ヶ原樹海とは、一見遊歩道や散策ができる森林ですが、この遊歩道を抜けると戻ってくることが非常に難しいと言われています。その理由は、どこまでいっても同じ景色であることや、方位磁針や電子機器が正常に動かないなど様々です。

そしてこの条件から「自殺の名所」という噂が広がり、全国から自殺志願者が多く集まってくるのだそうです。そしてその遺体が遊歩道からあまり離れていないようなところで見つかるとのことで、青木ヶ原の樹海に行くには注意が必要です。

このように、「オウム関連施設」「青木ヶ原樹海」という二つの理由から、図らずも悪い意味で話題になり、閉園に至ってしまったのがガリバー王国だったのです。

富士ガリバー王国・跡地はどうなったの?

さまざまな理由によって閉園してしまったガリバー王国ですが、閉園後はしばらく放置され、廃墟となっていました。後述する心霊スポットとしても話題となり、様々な心霊番組のロケ地としても使用されていました。

この頃にはまだ建造物や装飾物、そしてガリバー像が野ざらしで放置された状態になっており、荒れ放題だったそうです。

こののちガリバー王国の跡地は企業に買収され、2004年には「ザ・ドッグラン」がオープンしました。愛犬家が犬と一緒に、散歩や運動を楽しむための施設を想定して開園しました。

この頃はまだ、ガリバー王国の跡は完全に撤去されたわけではなく、半分ドッグランとして、半分放置された廃墟として(もちろん立ち入りはできない)になっていました。

ただやはり、アクセスの悪さ、雰囲気の悪さで客足は遠のき、ザ・ドッグランはオープンの1年後の2005年に閉園になりました。

2007年に建造物は解体

ドッグラン閉園後、ガリバー王国跡地はゴルフ場・ホテルともに買収されました。そしてその後解体工事が行われ、2007年にはガリバー王国の全ての建造物が解体された状態になりました。

かつてその独特な趣から、ガリバー王国跡地は廃墟としての人気は高く、多くのディープスポットマニアが訪れていました。朽ち果てていったガリバーのモニュメントや遊具は、解体される前に多くの人がその姿を見納めるために訪れていました。

皮肉なことに、ガリバー王国は閉園して廃墟になってから話題になり、多くの人が一目見るために訪れるようになったのです。

富士ガリバー王国・心霊スポットとしても話題に

富士ガリバー王国の知名度を上げたもう一つの要員としては、山梨県内屈指の心霊スポットであるという噂です。

もともと廃墟遊園地としてディープスポットマニアの間で話題となっていたガリバー王国でしたが、その人たちの間で心霊現象が起きたと噂が流れるようになったのです。

そもそもアクセスが非常に悪い事もあり、山梨県民でさえもわざわざ訪れないような場所でした。そのため昼間から非常に人通りがなく、まさに「何が起きてもおかしくない」というような、肝試しや度胸試しスポットとしては最適だったとも言えます。

ガリバー王国でどのような心霊現象があったのかという話ですが、実はあまりこれといったものが出てきません。「動画に声が入った」「写真にオーブが写った」といった現象があったという話ですが、果たして本当に心霊現象か、若干疑わしいのも事実です。

そしていくら心霊スポットとしての噂があったとは言え、すでにガリバー王国は取り壊されているので、確かめる方法はありません。跡地も現在は管理下に置かれていて、勝手に侵入することができなくなっています。

もともと不気味な雰囲気と言われていた

ガリバー王国に心霊スポットとしての噂が流れるようになった理由は、まず先述の通り、その立地背景によるものも少なからずあります。

まず青木ヶ原樹海が近いために自殺者が多く集まっていること、さらにもともとオウム真理教の修行やリンチにより多くの人が亡くなっていることです。これらの理由から、ガリバー王国はよくないものが憑いているのでは、呪われているのでは、などと言われていました。

そして廃墟となった後のガリバー王国は手入れがされず放置されていたので、いつしか荒れ放題になっていました。横たわるガリバーのモニュメントは朽ち果てて、いつしか体中に落書きがされていました。

さらに、ガリバー王国には人形やぬいぐるみを使用したアトラクションが多く稼働しており、それらがボロボロになることで、より心霊スポットと呼ぶにふさわしい雰囲気を醸し出していたのです。

このため、本当に心霊現象が起こるかどうかは置いておいて、その特殊な背景と独特な雰囲気によって噂が広がり、心霊スポットとして話題になったという要因が一番大きいようです。

心霊映像ロケ地としても採用されていた

このガリバー王国が心霊スポットとして話題になったのは、2005年の心霊番組「ほんとにあった!呪いのビデオ15」からだと言われています。とても人気の高い心霊番組ですが、このロケ地としてガリバー王国が使われました。

内容は、かつて人気アトラクションだった「ミラーハウス」でひたすら動画を回すというものです。誰もいないはずのミラーハウスの中で、女性の叫び声や子供の声が聞こえるという内容です。

心霊現象の信憑性は置いておいて、廃墟となったミラーハウスをただ進んでいく映像が、まさしく雰囲気抜群でゾクッとするものでした。この番組によって、雰囲気満点な動画や写真を撮れると話題になったのも一つの理由でもあります。

富士ガリバー王国・現在もその後の跡地利用は未定

ガリバー王国の現在は廃墟が取り壊され、更地となってしまいました。跡地を買収した企業の管理下に置かれた状態でいるものの、今後跡地の再利用の見通しは立っていません。

やはり主に悪い意味で話題になってしまったこの土地を再利用する方法は見つからないのでしょう。現在は周囲をバリケードや土嚢で囲まれ、手つかずの状態で放置されています。

かつてガリバー王国があった場所ですが、Googleマップ上では「富士ガリバー王国跡地」となっています。しかし石碑やモニュメントなどが立っているわけでもなく、ただ駐車場になっているだけです。

しかし、この位置から富士山がよく見渡せるおすすめスポットとのことで、車乗りやバイク乗りの間で話題になっています。またゴルフ場「富士クラシック」に隣接していることから、ゴルフついでに景色を眺めに訪れる方も多いようです。

もう一つ、この周辺で上九一色村の跡として残されているスポットが、ガリバー王国からやや離れた場所にある「富士ヶ嶺公園」です。この富士ヶ嶺公園は、かつてオウム真理教の第2・第3・第5サティアンがあった場所でした。

現在こそ整備された広い公園になっていますが、ここではオウム真理教の信者リンチ事件が起きました。オウム真理教を脱退しようとした信者に激しい制裁が加えられ、殺されてしまったのです。

富士ヶ嶺公園には、リンチ事件の犠牲者への慰霊碑が立っています。ガリバー王国の廃墟巡りと合わせて訪れてみてはいかがでしょうか。

旧富士ガリバー王国は廃墟マニアには話題のスポット

もしガリバー王国が現存していたら、確実に廃墟好きやディープスポット好きにとって話題の場所になっていたことでしょう。しかし今は、ランドマークであるガリバー像でさえ撤去されてしまったため、当時の趣を感じ取るのは非常に難しい状態です。

ガリバー王国の陰に日本を揺るがす事件が起こったこと、それとガリバー王国が直接関係ないにしろ、やはりよくない形で話題になってしまったこと、色々な因縁のある廃墟なのです。ぜひ近くを訪れた際は、その跡地を少し思い起こしてみることをおすすめします。

※ご紹介した商品やサービス等は時期や店舗によっては取り扱いがない場合があります。内容・価格が変更になる場合や終了になる可能性もあります。

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