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250年余り続いた徳川御三家、水戸徳川家時代には、様々な出来事がありました。これらの歴史は水戸城、徳川家の歴史を知る上で非常に重要になってきます。慶長14年(1609年)徳川頼房が下妻城より入城した徳川御三家時代以降、廃城までは水戸徳川家の居城となりました。
頼房は城下町を拡充し二の丸に居館を構え、巨大な三階櫓を建造しました。幕末には水戸藩の藩論が分かれ、改革派の天狗党と保守派の諸生党の対立が発生します。
明治維新まで続いたこの対立は、元治元年(1864年)に起こった天狗党の乱にまで発展。その後明治元年(1868年)に水戸城下で行われた戦闘により、城内の多くの建物を焼失させるにまで至りました。
水戸徳川家といえば水戸光圀
徳川御三家、水戸徳川家といえば、国民的人気ドラマ「水戸黄門」でもお馴染みの水戸光国。水戸納豆に並び、水戸市といえば「水戸黄門」といった方も多いのではないでしょうか?
「この印籠が目に入らぬか」の台詞や「助さん・角さん」と共に日本全国を旅して悪を退治する水戸黄門様は、今も昔も愛される歴史上の偉人の一人です。ちなみに徳川家康は水戸光圀のおじいちゃんにあたります。
水戸駅前には見どころの一つ「水戸黄門像」が設置されており、助さん角さんと共に旅する黄門様を観ることが出来ます。そのほか水戸市内には全部で8体の黄門様像が存在します。
中でも両隣りに「助さん・角さん」をひきつれている黄門様が観れるのは「水戸駅前」「保和苑」「水戸市民会館内」の3箇所になっております。水戸駅前の黄門様はアクセスもわかりやすい為、是非立ち寄りたいポイントの一つです。
水戸城の見どころ
日本百名城の水戸城は、那珂川と仙波湖に挟まれた丘陵を利用した平城です。天守がなく、石垣も設けていない珍しい城なのも見どころのひとつです。江戸城との結びつきが強い水戸藩の居城として多くの特徴があります。
またその他の観光の見どころの一つに三の丸に建てられた「薬医門」、「藩校弘道館」、日本三大庭園の「偕楽園」があります。
もちろん見学することが可能で、歴史ロマンを感じることが出来ます。薬医門のアクセスは水戸第一高校の敷地内となっており、高校の正門を入っての見学となります。
水戸城跡は大半がこうした高校・中学・小学校になっています。学校を囲むように城壁塀が張り巡らされ、通りの所々に杉山御門や棚町坂下御門などが復元されています。
本丸からは空掘などが道路や線路に転用されている様子も見下ろすことも出来て、こちらも見どころの一つです。訪れた際にはチェックしておきましょう。
旧本丸・薬医門
旧本丸・薬医門については明治時代以降、所有者が何度か変わった為、本丸と門は正確には断定できないとされている。
薬医門とは門の建築様式の呼び名で、扉を支えている本柱とその後ろにある柱で支えられた屋根の棟の位置を中心からずらす形式です。ゆったりと威厳がある為、大名の城門としてよく用いられました。
水戸の薬医門は徳川御三家の日本百名城、水戸城の中で唯一残されている建物です。間口五間五尺の堂々たる門で、佐竹氏の頃のものとされています。