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広島の竹原とはどんなところ?
広島県の南中部、瀬戸内海に面する位置に竹原という町があります。人口は2万5千人ほどで県の中でも面積は大きくない町ですが、元々瀬戸内海からの交通の要所であったことや小京都として古くから有名で、また映画やアニメの舞台などにもなっていることから、多くの観光客が訪れています。
特に近年は国内では関東、また外国からの観光客数も増えており、じわじわと人気の出ている観光地となっています。竹原市の方でも、エリアや目的ごとの観光モデルコースを紹介しており、観光に力を入れています。
広島・竹原は「安芸の小京都」
「小京都」と呼ばれる、京都と歴史的なつながりがあり、風情ある町並みの町が日本国内のあちらこちらにあります。金沢などが有名ですが、竹原もその小京都として知られています。
日本各地の小京都とされる町は古い歴史を持つことが多いですが、竹原はその中でも平安時代に開墾された土地であるため、自信を持ってお伝え出来る「歴史ある町」です。開墾されたのは京都の下鴨神社の荘園地としてなので、その当時から京都との縁がある町と言えます。
木造の建物の石敷きの道路など、その景観は「都市景観100選」に選ばれるほど見事なもので、町並みを歩く「町ぶら」も人気の観光方法です。町並保存地区の景観は人々の暮らしと共にあるものなので、展示でない、生きた町並みとして現在も続いているのが特徴です。
竹原は製塩業で発展した町
瀬戸内海に面した土地ということもあり、江戸時代の頃から、竹原は製塩の町として栄えました。町中に塩田が作られており、塩の生産量はかつて広島県で80%のシェアを誇るほどでした。
元々は田んぼを作るために開かれた土地が塩分が多く稲作に使えないことから始まった製塩業ですが、結果として町が栄える大きな要因になりました。作られた塩は北前船で全国に運ばれ、それによって町も発展しました。
製塩業によって豪商が栄えたことは町並みにも関係しています。豪商たちによって建てられた漆喰壁のお屋敷を中心として、現在の美しい町並みが残されているからです。現在も残る建物は江戸中期から明治期に建てられたものが多く、製塩業の盛り上がりの名残が感じられます。
竹原は酒づくりが盛んだった
また、製塩業もですが、竹原はお酒造りでも栄えた町です。港町であったことからお米の流通量が多く、それが要因となってお酒造りも発展しました。豪商が塩の他に酒造にも力を入れ多角経営を行ったこともあり、竹原は酒造の町としても知られるようになりました。