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玉川温泉は秋田県の中心部からかなり離れた場所にありますので、最寄りの駅で降りたとしても移動には車が必須になってしまうという、アクセス面はどうしても不便な点も目立ってしまいます。
しかし、バスの定期便がしっかり整備されておりますので自家用車が無い方や、自家用車で来るのが困難な遠方からお越しになる方も利用しやすいようアクセス面はしっかり整えられています。
東京近辺からアクセスする場合は飛行機でまず秋田まで向かうと良いでしょう。飛行機でおよそ60分で秋田へ行けます。秋田空港に着いたら空港から玉川温泉までバスの直通便が出ています。東京以外でも名古屋、札幌等から空路でお越しになる方にはおすすめです。
鉄道を利用する場合は秋田新幹線を利用するのが最も手軽なアクセス法です。田沢湖駅で下車し、路線バスに乗れば玉川温泉まで行けます。秋田新幹線を利用すれば東京からは乗り換えも無くアクセスが楽な点も注目です。
お住まいの地域が東北地方や関東圏内であれば自家用車で来ることも可能でしょう。その場合の利点はやはり途中にある観光スポットに立ち寄りながら玉川温泉温泉を目指せたり、飛行機や新幹線以上に自分のペースで旅が楽しめるという点でしょう。
ゆっくりと周りの景色や気になる施設に足を運びながらのんびりと玉川温泉を目指す旅もまた新たな発見や出会いがあり、思い出に残ること間違いなしです。
秋田県・玉川温泉の歴史
知らなくても楽しめるけれど、知っていると2倍も3倍も楽しさを膨らませてくれるのが、それぞれの場所の持つ歴史というものです。
歴史を紐解くことで、より玉川温泉そのものに対する理解が深まりますし、周辺の環境や観光地への理解も深まります。また、当時の人たち独自の温泉の楽しみ方は現在までも脈々と語り継がれ、伝統の入浴法や作法として語り継がれていることもあります。
地元のマタギにより1680年に発見
「マタギ」という名前の職業は皆さん一度は聞いたことがあるでしょう。クマなどの大型の動物を狩り、肉や皮、そして最高級の漢方薬となるクマの胆のう、通称熊の胆を売って生計を立てていた猟師のことです。
玉川温泉は秋田の厳しい冬で、極寒の雪山の中狩りをしてきたマタギたちによって発見され、彼らの疲れや傷を癒していた歴史があります。
玉川温泉が最初に発見された時、温泉には傷ついた鹿がおり、その傷を癒していたといいます。当時はまだ温泉として整備されておらず、マタギたちが狩りの後に寄るほか、近くで採掘作業をしていた炭鉱夫、そして動物たちしか温泉を知らない、正に秘密の秘湯という場所でした。
1885年に鹿湯という名称で開湯
長らくマタギたちの憩いの場となっていた秘湯でしたが、200年の時を経てやっと温泉としての整備が整えられ、多くの人に知られていきます。
当時は「鹿が入りに来ていた温泉」という話を元に玉川温泉は「鹿の湯」と呼ばれていました。湯治場として開かれた鹿の湯は効能の良さからどんどん人が集まるようになり、1929年には鹿の湯の素晴らしい効能に惚れ込んだ関直右衛門が、本格的に鹿の湯を温泉地として盛り上げる決意をします。
関直右衛門は手始めに湯瀬温泉の近くに湯瀬ホテルを建て、その後鹿の湯を権利を所得し開発を進めていきました。1934年には現在の玉川温泉へと名前が改められ、1950年にはバスが開通しアクセス面が向上するなど着々と開発が進んでいきました。
1959年に国民保養温泉地に
国民保養温泉地とは、源泉の湧出量が一定以上で温度も安定しており、効能が良くありながらも安全性もしっかり確保されている等、各条件を満たした温泉に政府から与えられる称号です。
玉川温泉を含む「八幡平温泉郷」では、10の温泉地のうち6つもの温泉地が国民保養温泉地となっております。秋田県内では他にも乳頭温泉郷を含む4つの温泉地が指定されており、東北地方では随一の国民保養温泉地が多い県となっています。
かつては「玉川毒水」と呼ばれることも
強い酸性は菌を殺し、治癒力を高めてくれたり血行を良くしたりと良い作用を引き起こしてくれる反面、植物や魚にとっては刺激が強すぎるため田畑を枯らしてしまったり魚を殺してしまったりと悪い作用も数多く引き起こしました。