北海道・松前城を巡る歴史の旅!日本最後の日本式城郭の見どころをご紹介

北海道・松前城を巡る歴史の旅!日本最後の日本式城郭の見どころをご紹介

北海道には夜景が綺麗なスポットや観光名所などがたくさんあります。松前町にある松前城は、日本最後の日本式城郭として人気の観光スポットになっています。今回の記事では、日本最後の日本式城郭松前城を巡る際の見どころについて紹介をしていきます。

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    記事の目次

    1. 1.北海道旅で必見!「松前城」は人気観光スポット!
    2. 2.松前城で外せない「見どころ」
    3. 3.松前城は「どこ」からの攻撃に備えていた?
    4. 4.松前城の「天守内部資料館」に展示されている物とは?
    5. 5.松前城は「ライトアップ」された姿も美しい
    6. 6.北海道の「松前城」を巡る旅で歴史を感じよう!

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    松前城は「北海道内唯一の日本式城郭」

    Photo by com52067

    1つ目の見どころは、独立式層塔型3重3階の天守を持っている、道内で唯一の日本式城郭・日本最後期の城である松前城そのものです。

    1941年には旧国宝に指定されたことがありますが、火災での被害を受けた際に指定は1度取り消されています。忠実に再現している当時の様子を思い描くことができ、外観を楽しむなら朝と夜がおすすめです。

    朝に訪れる場合は、タイミングが合えば霧の中にある幻想的な松前城を見ることができるのが朝の松前城の見どころの1つです。

    Photo by Kuruman

    なお、松前城から離れたところからでも城の景色を楽しむことができるのも見どころです。悠然と佇む松山城を観たい場合は、松前城から300メートルほど離れた「道の駅 北前船 松前」の駐車場がおすすめです。

    立派な「正門」

    フリー写真素材ぱくたそ

    松前城を巡る旅で外せない見どころは松前城の立派な正門です。入口の門となっていますが、庭木の美しい景色が広がっています。

    受付を済ませてから入場をしますが、白い壁と天井の廊下を通り抜けると資料館が見えてきます。松山城資料館は、地下の展示室からスタートし1階・2階と展示室が続いています。

    3階は展望室が広がっており、城下町などを眺めることができます。また、展望室では、城の昔の写真を見ることができるコーナーが用意されており、こちらも見どころとなっています。

    重要文化財の「本丸御門」

    フリー写真素材ぱくたそ

    3つ目の見どころは、重要文化財に指定されている「本丸御門」です。松前城を巡る旅では一番外せない場所になっています。城内を巡っていると、本丸の玄関が見えてきますので是非お城の周辺を巡ってみてください。

    時代が幕末になると、蝦夷共和国の設立を夢見ていた旧幕府軍と榎本武揚がリーダーとなっていた集団の勢力により、攻撃を受けてしまいます。

    明治元年11月5日には、元新選組副長である土方歳三と土方歳三の部下約700人による少人数での攻撃にも関わらず、1日も持ちこたえずに落城するという結果となりました。

    フリー写真素材ぱくたそ

    土方歳三の攻撃により落城した松前城ですが、落城の翌年に土方歳三は函館で戦死をしてしまいます。土方歳三の戦死により、リーダーであった榎本武揚は新政府軍に降伏をすることになり、藩主のもとに戻ることになりました。

    明治4年に施行された廃藩置県によって城の所有は松前氏から明治政府となります。その後明治8年には一部を除いて取り壊されることになりました。松前城を巡る際には、歴史の背景や時代の流れに思いを寄せながら、散策してみてはいかがでしょうか。

    現在復元されている松前城と重要文化財に指定されている本丸御門合わせて見学をすると、当時の情景を浮かべながら、旅を満喫することができます。

    Photo by Szu-En

    玄関は明治になると、松城小学校の一部として利用されていました。現在ある場所は文化財として残すために移築された後になります。

    松前城は「どこ」からの攻撃に備えていた?

    Photo by kagawa_ymg

    松前城は、外国船の出没・攻撃に備えて陸からではなく海から攻撃の警備を強化をするために、幕府が築城を命じています。5年がかりで当時の福山館の修築を重ね、1854年に城は完成しています。

    松前城は本丸・二の丸・三の丸から構成されており、本丸東南隅には三層の天守が築かれていました。三の丸には海に向けて7基の砲台が設置されており、諸外国からの攻撃に備えて砲台を海に向けて多く設置していました。

    また、城外にも9砲台と25門の大砲が配備されていました。日本は、江戸幕府時代に鎖国を行っており決められた国のみが決められた場所でのみ貿易ができるようになっていました。その為、諸外国の船の接近には敏感になっており、松前城は海からの攻撃への備えて築城されています。

    松前城の「天守内部資料館」に展示されている物とは?

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    松前城は「ライトアップ」された姿も美しい

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