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それでは大内氏が行った京を模した街の内容について説明します。京都は南北と東西に直交する街路が特徴です。またほとんどの通りには名前がついております。大内氏は中央に政庁を設置し街を縦横に区画しました。また街路名を大路、小路と京風にしました。まさに今の京都の仕組みと同じです。
また大内氏が京から姫君を妻に迎えましたが、妻があまりにも京の都を思い馳せ寂しがりました。そこで大内氏は一の坂川を京の鴨川に見立て、京都宇治からゲンジボタルを取り寄せ一の坂川に放しました。
大内弘世およびも歴代当主は名所になっている瑠璃光寺五重塔や雪舟の水墨画など山口県に「山内文化」を数々と残しました。「山口の西の京」は山内文化の始まりと言われております。
萩の産業遺産群は世界遺産登録
日本は明治維新から約50年で製鉄と鉄鋼、造船、石炭産業を急激に産業化させることに成功しました。西欧地域以外の地域で初の産業国家の地位を確立ことが特筆すべきことであることが認められ「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されました。
明治日本の産業革命遺産は全国にまたがり九州、山口を中心に8県11市に23の資産がありますが萩エリアは時代順に1番目のエリアです。名所になっている萩エリアは5つの資産で萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、松下村塾、萩城下町で構成されております。
山口観光・人気観光地8選
冒頭で触れましたが、山口は歴史が色濃く残っている県です。最初は歴史情緒が溢れている観光地や名所を中心に紹介します。
「岩国城」
名所「岩国城」は岩国藩初代藩主の吉川広家が1608年(慶長13年) に完成させました。しかし1615年(慶長20年)徳川秀忠が「一国一城令」を発令しました。当時の長州藩、今の山口県は萩城と岩国城を持っておりました。藩主毛利氏は萩城を残すことにし1615年 (元和元年) 岩国城を取り壊しました。
1962年(昭和37年)岩国城の桝形門(城を攻めてきた敵が直進できないように設けた四角形の空いた場所)に天守閣が再建されました。岩国城は山城なので天守閣は高く城下が見下ろせます。錦帯橋からロープウェーが出ております。錦帯橋と岩国城の2つの名所を観光できる絶好な観光スポットです。
また岩国藩初代藩主の吉川広家は敵が攻めてきて籠城戦になった場合、岩国城は山城なので水の確保が難しため食料確保が課題でした。そこで吉川広家が考えたのは酢飯を使った保存食です。山海の食材を酢飯と混ぜ保存食としました。
これが山口県岩国の郷土料理である「岩国寿司」となり、考案者が殿様だったことから殿様寿司とも言われております。岩国観光で小腹が空いたら彩りよい岩国寿司をぜひご賞味ください。
住所 | 山口県岩国市横山3丁目城山 |
電話番号 | 0827-41-1477 |
「防府天満宮」
山口県防府市の防府駅から約1km北上すると旧山陽道に当たります。そこは「防府天満宮」の宮前に立った市が発達し「宮市」と呼ばれた場所で、今も宮市の町並みが東西にのびております。旧山陽道に当たった場所から東へ宮市の町並みに沿って歩くと防府天満宮の名所の石大鳥居が見えてきます。
名所、防府天満宮は菅原道真(天満大自在天神)を祭る天満宮である日本三大天神の一つで日本最古の天満宮と言われております。毎年10月15日に近い土曜日に「御神幸祭(裸坊祭り)」が行われます。かなり勇壮な祭りですので、もし時期があえば観光してみてください。
住所 | 山口県防府市松崎町14-1 |
電話番号 | 0835-23-7700 |