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では、日本に西洋料理が最初に伝わったのはいつだったのでしょう。西洋料理を広義にとらえると、織田信長が活躍した時代に渡来したポルトガル人やスペイン人がもたらした南蛮料理が始まりと言えるようです。
長崎の「良林亭」
日本に西洋料理の専門店が初めて誕生したのは、1863(文久3)年のことです。長崎・出島のオランダ商館で皿洗いをしながら西洋料理を体得した草野丈吉さんが、長崎に「良林亭」というお店を開店したのが始まりです。
長崎は海外との交易地であったため古くから西洋食が流入し、街の飲食店で西洋料理が提供されることはそれまでにも存在したようですが、日本人の手による西洋料理の専門店はこの良林亭が最初とされています。
その後「自遊亭」、さらに「自由亭」と名前を変え、1887(明治20)年まで続きました。現在はグラバー園内に移築復元され、旧自由亭として紹介されています。その歴史ある西洋建築の建物は喫茶室としても活用されているので、長崎への旅行の際に、ぜひ訪れてみて下さい。
本格的に広まったのは明治時代
明治新政府が主導した文明開化の奨励により、各種の西洋文化が取り入れられてきました。それとともに、西洋の食事も入ってきました。それまで、日本人は肉食を忌避していたため、牛肉や豚肉を主体とする西洋料理には抵抗がありました。
しかし、明治時代の軍隊では、兵隊の体力の強化を目的に、軍隊での食事が西洋化されました。また、明治天皇が自ら牛肉を膳に上せられたという新聞報道などもあり、庶民の間でも牛鍋などの形で徐々に肉食が始まりました。それと共に、洋食も広まります。
徐々に日本人の口に合うように進化
明治時代、日本で西洋料理の食材を完全に揃えることは困難だったこともあり、料理人たちは西洋料理を日本人の口に合うように独自に工夫を加えました。
それが、ポークカツレツ、カレーライス、コロッケ、カキフライ、エビフライ、オムライスなどの、「日本式西洋料理」、すなわち「洋食」となるのです。
浅草の老舗洋食屋さん
浅草には、明治から昭和初期にかけて、洋食が広まり始めたころに創業された老舗洋食屋があります。今も日本の下町文化が色濃く残る浅草で、食の歴史を刻んできた洋食屋を6店紹介します。
「グリル佐久良」
「グリル佐久良」は、浅草で40年以上も営業している老舗洋食屋です。初代店主が亡くなり一時は営業が途絶えていたのですが、孫娘が再び復活させた人気店です。
メディアにも度々登場し、開店前から行列ができることも少なくありません。人気メニューのビーフシチューは、お箸でも切れるほど柔らかいお肉で、ここで食べたら他で食べられないというファンが多くいます。
住所 | 東京都台東区浅草3-32-4 |
電話番号 | 03-3873-8520 |