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高知城の天守は現存12天守のひとつに数えられる、貴重な文化財です。現存12天守とは江戸時代以前から現存する12の天守のことで、高知城の他には、青森の弘前城、長野の松本城、福井の丸岡城、愛知の犬山城、滋賀の彦根城があります。
兵庫の姫路城、島根の松江城、岡山の備中松山城、香川の丸亀城、愛媛の伊予松山城と宇和島城があり、いずれも国宝または国の重要文化財に指定されていて、高知城の天守も他の建造物とあわせて1950年に国の重要文化財となっています。
なお、高知城の天守は四重六階(内部は三層)で、外観の特徴は当時としてもやや古風なものとなっていますが、これは一豊の前任地の掛川城の天守を模したためと言われています。
本丸と天守が現存しているのは高知城だけ
日本の城は城郭という言葉がある通り、郭(くるわ、曲輪とも書きます)と呼ばれる複数の区画で構成されています。外側から三の丸、二の丸などの名前がつけられた曲輪があり、本丸は城の中核となる区画で、天守や御殿などが建てられています。
お城イコール天守と思われがちですが、これらの曲輪の構成や御殿や櫓、門、石垣などお城によって特徴が異なるので、それらのスポットもお城見学の見どころの一つです。
高知城は天守が現存する12の城の中でも、本丸が当時のまま完全な形で残っている、唯一のお城ですので、天守だけでなく、本丸御殿をはじめとした各建造物にも注目してください。ほとんどの建造物が重要文化財に指定されていますので、見どころ満載です。
高知城の追手門前は絶好の撮影ポイント!
追手門とは大手門と書かれることもある、そのお城の正門にあたるスポットです。お城のある街には、大手や追手という言葉のつく地名がありますが、それらは大手門や追手門に由来することが多いです。高知城の追手門に隣接した地域にも追手筋という地名がついています。
高知城の追手門は、石垣の間に防御施設である門櫓を渡した、渡り型の櫓門です。この形の門は大坂城や江戸城など名だたる名城でも採用されています。
高知城の追手門前からは、追手門と天守が一つの写真におさめることができますので、高知城の写真を撮るなら、追手門前がおすすめの撮影スポットです。
高知城の見どころはこちら!
高知城には天守をはじめ、歴史的な建造物がたくさんあります。本丸が完全な形で現存していることなどは先ほどご紹介した通りですが、二の丸、三の丸に見どころがたくさんあります。ここではそんな高知城の見どころをご紹介したいと思います。
江戸の歴史を伝える重要文化財がズラリ
高知城には「天守」や「本丸御殿」など実に15棟もの建造物が、歴史的な価値が高いとされ、国の重要文化財に指定されています。ここではそれらの建造物をご紹介します。
最初の見どころは高知城の正門である、「追手門」です。こちらは先ほども簡単に触れましたが、石垣の上に櫓を渡した櫓門です。一国の政庁の正門らしい堂々たる風格があります。この追手門は築城当時のもので、高知城の中でも最も歴史のある建築物です。
次の見どころは本丸と二の丸をつなぐ「詰門(つめもん)」も重要文化財の一つです。この門も櫓門で階上には四室の畳敷きの部屋があり、階下は本丸への通路と塩倉になっています。
詰門を進んだ先にある本丸への入り口「廊下門」も見どころの一つです。この廊下門は本丸よりも一段低くなっており、地下門という形になっています。廊下門の東西には「東多聞」と「西多聞」という一層櫓が配置されています。これらも重要文化財です。
本丸には天守や本丸御殿の他にも、調度器具を保管した「納戸蔵(なんどくら)」や「黒鉄門」があり、これらも重要文化財にしていされています。他にも天守や黒鉄門、追手門の付近に配置されている計6か所の「矢狭間塀」が、重要文化財に指定されています。
随所にこだわった高知城の天守
天守とは元々、書院造の手法を応用して造られた巨大な櫓でした。初期の天守としてとくに有名なのは安土城の天主です。安土城は天主と書きますが、他にも殿守、殿主と書く場合もありました。ちなみによく使われる天主閣という言葉は俗称で正式には使われません。
また、天守には大きく分けて2種類の型式があります、旧式の望楼型と新式の層塔型です。高知城の天守は前者の望楼型に分類されます。築城当時はすでに層塔型の天守が現れていましたが、初代藩主の山内一豊が前任地の掛川城を模して造ったため旧式の望楼型となっています。
最初の天守が火災で焼失して再建した際も、新式の層塔型ではなく、焼失前の望楼型天守を忠実に再現しました。したがって、現在見られる天守の形は創建当時と同じものと言えます。