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現在の鹿島神宮は、Jリーグの強豪チームである鹿島アントラーズが、毎年必勝祈願をすることで有名な神社でもあります。Jリーグの中でも、屈指の優勝回数を誇る名門鹿島アントラーズの強さの秘密には鹿島神宮のご利益にあるのかもしれません。
ちなみに鹿島アントラーズのマスコットである「しかお」、「しかこ」、「アントン」は鹿をモチーフにしたキャラクターですが、これは鹿島神宮の鹿に由来するそうで、鹿島神宮と鹿島アントラーズの繋がりの深さを示しているかのようです。
また、鹿島神宮は、千葉県の香取神宮や同じ茨城の息栖神社とともに東国三社と呼ばれています。昔から三社巡りが盛んに行われていて、三社を巡ると伊勢神宮への参拝1回分のご利益が頂けるとも言われています。
香取神宮は鹿島神宮と同じくらいの歴史と格式がある神社で、息栖神社はパワースポットとして人気の神社ですので、鹿島神宮とあわせて巡ってみるのはいかがでしょうか?
なお、三社巡りをする際には東国三社お守りを買いましょう。三社のいずれかで購入できる木製のお守りで、残りの二社に参拝した時に神紋シールを頂いて完成させるお守りです。旅の記念にちょうど良いのではないでしょうか?
祀られている神様は?
鹿島神宮のご祭神は、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)です。この神様は武の神、雷神、剣の神として有名で、建御雷とも書きます。出雲の国譲りの伝説では、大国主神から葦原中国(あしはらのなかつくに)譲り受ける際に中心的な役割を果しました。
武甕槌の活躍は古事記にも日本書紀にも記述がありますが、両者の間には内容に微妙な違いがあります。
古事記では、武甕槌が天照大神に命じられ、大国主神へ国譲りを求める使者として出雲へ降り立ちます。国譲りを迫られた大国主は2人の息子に相談しました。
2人の息子の内、事代主神(ことしろぬしのかみ)は服従しましたが、もう1人の建御名方神(たけみなかたのかみ)は国譲りに反対し、武甕槌に力比べを持ちかけました。
武甕槌は建御名方との力比べに見事勝利して、建御名方を屈服させ国譲りを成功させました。ちなみに、この力比べが後の世の相撲の起源となったとされています。
一方の日本書紀では、武甕槌だけでなく、経津主神(ふつぬしのかみ)も一緒に出雲へ降り立っています。また、建御名方との力比べなどのエピソードはなく、事代主が国譲りに同意すると大国主も素直に国を去ります。
なお、経津主は鹿島神宮と並んで、関東最古の歴史を誇る香取神宮の主祭神となっています。日本書紀のこの話は神話として伝わっていますが、古代の歴史を基にしているとも言われています。
鹿島神宮と香取神宮が、大和朝廷の東国経営の重要な拠点であったことを考えると、国譲りの神話の基となった話が本当にあったのではないかと思えてきます。
また、武甕槌は時代が下って神武東征の際には、神武天皇に布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)を与え、東国平定を助けたと言われています。
以上のように武甕槌は、武神として名高い神様です。源頼朝や足利尊氏そして徳川家康など各時代を代表する武将達からの崇敬を集めました。
鹿島から高千穂の「レイライン」
レイラインという言葉に聞き覚えのない人も多いでしょう。レイラインとは一部の古代遺跡が直線的に並ぶように建造されているという仮説の中で、遺跡を結ぶ直線を指す言葉です。元々はイギリスで生まれた言葉ですが、日本にもこのレイラインが存在します。