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1617年に戸田氏鉄が新築
尼崎城は、1617年(元和3年)に江戸幕府の命により、譜代大名だった戸田氏鉄(うじかね)が尼崎藩主に就いた際に新たに尼崎城を築きました。当時の尼崎城は、数年の歳月をかけて築城され、阪神甲子園球場の約3.5倍になる広大な規模でした。
尼崎城は、西国支配の拠点になるべく大阪の西の守りとして築城されましたが、5万石の大名の城としては大きすぎる城となっており、江戸幕府が西の拠点として尼崎を重要視していたことが伺えます。
尼崎城は、戸田氏・青山氏・松平氏と代々譜代大名が城主を務めました。尼崎城は取り壊されるまでの約250年間、尼崎のシンボルとして、また尼崎藩の政治の中心として、修復工事などの城を保つ努力が行われてきました。
四層の天守閣と3重の堀
当時の尼崎城の天守は、4層4階の大天守と2階建ての多門櫓(たもんやぐら)の小天守が付属する複合式天守という形式で、大天守は唐破風(からはふ)・千鳥破風(ちどりはふ)の屋根飾りなどの装飾が凝らされて美しい外観でした。
また、庄下川を西の外堀とする3重の堀と南の海とに囲まれている設計で、戦国時代以降に多くなった平城です。3重の堀以外にも、櫓(やぐら)台を17箇所も構えるなど外敵が侵入しにくい仕組みとなっていて、行政機能を重視した平城ながら、防御機能も備わっていました。
入場料
尼崎城の入場料をご紹介します。個人で利用する場合の入場料は、一般・学生500円、小・中・高校生250円です。20名以上の団体で利用する場合の入場料は、一般・学生400円、小・中・高校生200円です。未就学児の入場料は無料です。
身体障がい者手帳、療育手帳及び精神障がい者福祉手帳の交付を受けている方の入場料は、入城時に手帳を掲示すれば一般・学生350円、小・中・高校生180円になります。手帳をお持ちの方の介護者の方の入場料は、一般・学生250円になります。
尼崎城の周囲にある公園と、尼崎城の1階は入場料が無料で楽しめるのでおすすめです。尼崎城の1階には、尼崎の特産品が購入できるショップや、実際のハガキや手紙を送れてお城のデザインの消印が押してもらえるお城ポスト、尼崎の歴史を紹介した展示室などがあります。
尼崎城の入場料は、リーズナブルなのでせっかく尼崎城に来たのなら入場料を払ってお城の中に入るのがおすすめですが、観光や気軽の遊びに来ても1階や公園などが入場料無料なので楽しめます。
尼崎城の営業時間は、9時から17時まで(最終入城は16時30分まで)です。休城日は、月曜日(祝日の場合は翌日)と年末年始です。
尼崎城の歴史
尼崎城は、1617年に戸田氏鉄によって築城され、戸田・青山・(櫻井)松平の3家12名の尼崎藩主が城主を務めました。戸田氏鉄は、関ケ原の戦いにも従軍しており、大阪城修繕や島原の乱での功績が認められ、徳川家康からも厚い信頼を得ていたといわれています。
幕府からの信頼があったからこそ、戸田氏鉄は大阪に近く軍事的にも経済的にも重要な尼崎城の初代藩主に抜擢されたのでしょう。また、兵庫県下で天守があったお城は、姫路城と尼崎城の2つだけでそこからも幕府からの信頼の厚さが伺えます。
戸田氏鉄が19年城主を務めた後は、青山氏が4代に渡り城主を務め、その後は松平氏が7代に渡って城主を務めました。青山氏は優れた政治的手腕を持っており、幕府の中で着実に出世していき、3代目将軍の徳川家光の時代になり尼崎城の城主になりました。
尼崎城の3代目城主となった青山幸利は、12名の城主のうちで1番長い42年城主を務めました。青山幸利は、尼崎城が大好きだったといわれており、毎朝眺めては時々感動の涙をこぼしていたという話も残っています。