本サービス内ではアフィリエイト広告を利用しています
店舗や施設の営業状況やサービス内容が変更となっている場合がありますので、各店舗・施設の最新の公式情報をご確認ください。
建立以来「焼失」と「再建」を繰り返してきた
雷門は創建されてから、何度も焼失と再建を繰り返してきました。1635年に建立された門が1642年に焼失し、1649年に徳川三代将軍家光の発願で再建されたのです。
しかし、1649年に建立された雷門は1767年に駒形町からの失火で焼失してしまいました。その後、1795年に再建された雷門から、提灯の奉納が行われるようになったのです。
提灯の奉納が行われるようになってから、歌川広重などの浮世絵師の画題となり一躍有名になりました。しかし、幕末の1865年に、またしても失火により焼失してしまいました。
再建費用を寄進したのは松下幸之助
1865年に起こった火災によって焼失した雷門は、それ以後95年もの間、再建されることはありませんでした。現在の浅草寺で一番の見どころになっている雷門が再建されたのは、1960年のことです。
1865年に消失した雷門を95年後に再建したのは、「松下電器産業(現パナソニック)社長の松下幸之助氏」です。松下幸之助氏の寄進によって、雷門は再建されました。
松下幸之助氏が雷門再建のために寄進した理由は、関節痛にあります。関節痛の話を聞いた当時の貫首(かんしゅ)が、ご本尊に祈願したところ、関節痛が快復したので、そのお礼に雷門の再建の寄進を行ったのです。
浅草・雷門の見どころは?
浅草寺の見どころといえば、雷門の赤提灯でしょう。正面からの雷門は迫力があります。また左右には風神雷神の像があり、これも見どころの1つといえるでしょう。
門をくぐって目立つのは仲見世ですが、振り返れば雷門の正式名称である風雷神門の文字が書かれており、左右には金龍と風龍の像があります。雷門は正面から見ても裏側から見ても楽しめるのです。
また、雷門の赤提灯は底部分に彫刻が施されています。これは 失火による消失の絶えない浅草寺や雷門を天龍や金龍に守護してもらいたいという願いがこめられています。この美しい彫刻も見どころなので、雷門をくぐる際は見過ごさないようにしましょう。
雷門に吊るされる大提灯
雷門に吊るされている巨大な提灯には、雷門と大きな字で書かれており、ひと目見ただけで浅草だとわかることや、駅からのアクセスの良さもあいまって、たくさんの観光客が記念撮影する場所になっています。
この雷門と書かれた提灯が畳まれることがあります。それが三社祭の日で、浅草寺の隣にある浅草神社(あさくさじんじゃ)が中心になって行われる例大祭です。三社祭では雷門に吊るされている提灯を半分ほど畳んで、御神輿がその下を通るスペースを作ります。
雷門と書かれた提灯が畳まれている姿は中々見ることができませんので、三社祭の時期に合わせて浅草を観光する計画を立ててもよいかもしれません。
高さは3.9m直径は3.3m重さは約700kg
雷門に吊るされた赤い提灯はとても巨大です。高さは3.9mあり、直径は3.3mです。重量はおよそ700kgもあります。
現在吊るされている大提灯は、2003年に江戸幕府400年を記念して新調された際に、それまで重量670kgだったものが現在の700kgになり、一回り大きくなっています。
夜には雷門がライトアップされ、大提灯がひときは存在感を増します。昼に訪れて記念写真を撮るのもおすすめですが、時間があれば夜に訪れてライトアップされた雷門の大提灯の前で写真を撮ってみてはいかがでしょうか。
約10年ごとに新調
1865年に火災により焼失し、95年後の1960年に松下幸之助氏が、雷門を再建しました。松下幸之助氏の寄進による再建の際に大提灯の奉納も行われ、それ以来10年に一度の間隔で雷門の大提灯の修復が行われています。
大提灯を雷門に吊り下げる儀式を「懸吊式」と言います。前回、懸吊式が行われたのは2013年11月18日です。
次回の懸吊式は従来どおりであれば、10年後にあたる2023年中の開催ですので、まだまだ先の話ですが日時が合えば、懸吊式を見に行くのもよいでしょう。