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よさこい節で歌われる悲恋の舞台「はりまや橋」
現在、知られている「よさこい節」は、古くから歌い継がれてきた土佐の民謡「よさこい節」に、僧侶純信と美しい娘お馬の悲恋の恋物語を組み入れられて作られました。有名な歌詞の一節は「土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た よさこいよさこい」です。
高知の竹林寺脇坊の僧侶純信が、「はりまや橋」の小間物屋でお馬のためにかんざしを買っていたと言う意味です。「よさこい」とは夜に来てくださいとの意味です。続いて、歌詞に登場する純信とお馬の恋物語をお話しいたしましょう。
僧侶・純信とお馬の恋物語
「はりまや橋」に関する悲恋話は純信とお馬とされていますが、純信と会う前に、お馬の恋の相手には慶全という若い僧侶がいたと言われています。最終的にお馬と駆け落ちして捕らえられ引き離されたのは純信ですが、諸説ありそうです。
最初はお馬と僧侶慶全が恋愛関係にあり、お寺の戒律を犯したことで、慶全が追放されました。当時、僧侶は妻をめとる事が禁止されていました。他の説は、お馬は慶全の事を相手にせず恨みをかい、慶全によるうわさ話により二人は追い詰められたという説もあります。
最終的にはお馬は純信と駆け落ちをし捕らえられ、引き裂かれて別々の場所に送られます。しかし、再度純信が駆け落ちを試みますがお馬が合意せず、純信は再び捕らえられ伊予に送られます。その後、二人は会う事もなくそれぞれ違う相手と結ばれました。
昭和のヒット曲「南国土佐を後にして」で有名に
「はりまや橋」や純信とお馬の悲恋が広く知られるようになったのは、昭和のヒット曲「南国土佐を後にして」がきっかけです。「南国土佐を後にして」は、1959年にペギー葉山さんが歌い全国に知られた流行歌です。
歌に盛り込まれた「よさこい節」の「はりまや橋」の一節により知名度が上がりました。平成24年11月3日にははりまや公園に歌碑が完成し、除幕式にはペギー葉山さんも参列されました。
「南国土佐を後にして」の歌碑からは、8時半から20時半まで1時間ごとにペギー葉山さんの歌声が流れてきて、親子鯨の像は曲に合わせながら潮を吹きはじめます。「はりまや橋」にお越しの際は、ペギー葉山さんの歌声を聞きにお立ち寄り下さい。
高知のはりまや橋は「日本三大がっかり名所」?
高知の「はりまや橋」は、「日本三大がっかり名所」の一つとされていることをご存知ですか。
「日本三大がっかり名所」といえば、札幌の「時計台」と「はりまや橋」、「長崎オランダ坂」が挙げられています。共通する事は「時計台」と「はりまや橋」は規模が小さい、「オランダ坂」は石畳と言う事です。
名所でありながら「がっかり」との評判は残念ですが、「はりまや橋」は、本当にがっかりしてしまう名所なのでしょうか。詳しく見ていきましょう。
高知はりまや橋ががっかりされる理由2点
高知の「はりまや橋」ががっかりされる理由は2つあると言われています。小さい橋という事は前述しましたが、どの程度小さいのでしょうか。そしてあと1つ、どんな理由ががっかりされる理由に挙げられているのでしょうか。