足尾銅山観光の見どころを紹介!わたらせ渓谷鉄道と産業遺産の歴史もご案内

足尾銅山観光の見どころを紹介!わたらせ渓谷鉄道と産業遺産の歴史もご案内

「足尾銅山」は有名観光スポットが点在する日光市にある産業遺産です。かつては日本一の銅山として栄華を誇りましたが、足尾鉱毒事件で世間を騒がせ、やがて鉱山の役目を終えることになります。今や観光名所として生まれ変わった足尾銅山の歩みや見どころをたっぷりご紹介します。

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    記事の目次

    1. 1.足尾銅山とは?
    2. 2.足尾銅山は産業遺産として観光名所に
    3. 3.足尾銅山観光の見どころについて
    4. 4.わたらせ渓谷線と足尾銅山の関係
    5. 5.わたらせ渓谷線に乗った足尾の町観光
    6. 6.足尾銅山の基本情報
    7. 7.足尾銅山に行って歴史を観光しよう!

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    足尾銅山とは?

    足尾銅山は日光東照宮と並ぶ栃木県有数の観光の見どころです。日本の近代化を支えた鉱山の1つであり、日本屈指の鉱山都市として栄えた歴史があります。足尾町には多い時で34000人以上が暮らし、社宅や学校など生活に必要な様々な施設が建設されました。

    閉山されるまでの約400年間掘り続けられた坑道の総長は約1200kmにもわたり、なんと東京~博多までの距離とほぼ同じになります。足尾銅山ははじめこそ採掘量は多くありませんでしたが、一時は日本の銅産出量の4割を占めるほど急成長を遂げました。

    足尾銅山を含め全国の大小いくつもの銅山で採掘が行われていましたが、現在はすべて閉山しており、再開発か産業遺産として観光の見どころとなっています。

    戦国時代から続く銅山

    Photo by TANAKA Juuyoh (田中十洋)

    足尾銅山が発見されたのは室町時代に当たる1550年です。本格的な採掘がスタートしたのは江戸時代に入った1610年ごろで幕府直属の鉱山となります。

    貨幣の鋳造を担っていた機関である「鋳銭座(ちゅうせんざ)」が置かれたため、足尾銅山の周辺は「足尾千軒(あしおせんげん)」と呼ばれ店や民家が立ち並ぶとても豊かな地域となりました。

    ピーク時には年間1200tに達し、当時世界最大の産出量を誇りました。しかし以降明治初期にかけては災害や管理体制の悪さ、人手不足など多くの要因が重なり、足尾銅山での産出量は年150tと大幅に落ち込んでしまうのです。

    Photo byAntranias

    閉山もやむを得ないと思われていた中、1877年に古河財閥の創業者・古河市兵衛(ふるかわいちべえ)が経営に乗り出すと、徐々に足尾銅山に復活の兆しが見えはじめます。

    技術革新も伴い優良な鉱脈が次々と発見され、愛媛県・別子銅山や茨城県・日立鉱山と並ぶ大規模な銅山へと成長を遂げるのです。

    戦後になると世界中で自由貿易が盛んに行われ日本も流される形となり、鉱山は縮小の一途をたどります。そして1973年古河財閥はとうとう足尾銅山の閉山を決断し、歴史に幕を降ろすことになったのです。

    足尾鉱毒事件として広く知れ渡る

    Photo byqimono

    着々と産出量を増やしていった足尾銅山でしたが、同時に周辺では公害が深刻化していくことになります。

    現代の人々が足尾銅山を知るきっかけとなるのは、おそらく学校で習う「足尾鉱毒事件」ではないでしょうか。「100年公害」ともいわれ、未だに原状回復のための努力が続けられています。

    足尾鉱毒事件の引き金となった公害の原因は主に2つあります。1つは銅鉱石に含まれているカドミウムやヒ素、硫酸などの有害な化学物質、また銅そのものが引き起こす酷い水質汚染です。

    Photo byjhusemannde

    足尾町を走るわたらせ渓谷鉄道が通っている渡良瀬川流域で1878年に最初の公害が確認されて以降、平成に入っても被害の報告が続くほど根深いものでした。

    特に1890~1970年代においては渡良瀬川の魚が大量死したり、稲が枯れる、収穫物から基準値上の有害物質が検出される等の被害が後を絶たなかったのです。

    Photo bymanfredrichter

    また被害地域も足尾町だけでなく、隣接する市町村や遠く離れた江戸川・利根川流域まで広がりました。さらに足尾銅山の鉱毒被害は水害だけにとどまらず、もう1つの原因である大規模な大気汚染までも引き起こすことになります。

    純粋な銅を取り出す際に行われる精錬作業中に発生した二酸化硫黄が撒き散らされたことで、周辺の木々が次々と枯れ、山の斜面が崩落する被害も相次ぎました。雨によって山からの土砂が詰まり洪水が多発する悪循環に陥ってしまったのです。

    連続する酷い災害に近隣の松木村・久蔵村・仁田元村は廃村を余儀なくされるほど事態は深刻でした。

    田中正造を中心に国会に提起

    フリー写真素材ぱくたそ

    鉱毒の被害が足尾銅山周辺にとどまらず広がっている状況を危惧した田中正造は、積極的に問題解決に向けて働きかけた人物として有名です。田中正造は栃木県出身の議員で、生涯にわたって鉱毒被害の現状を世間に伝え続けました。

    自ら足尾銅山と付近の村々を視察し、国会にて質問・演説を何度も行いました。同じころに鉱毒被害を訴える農民たちの運動が激しくなり、警官と衝突し怪我人や逮捕者がでた「川俣事件」も発生してしまいます。

    Photo byniekverlaan

    事件後、田中正造が行った「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀につき質問書」は政界の歴史に残る素晴らしい演説でしたが、当時政府の動きは鈍く納得できる返答、対策はなかったといいます。

    1901年、田中正造は議員辞職をしますが、足尾銅山の公害被害を訴える活動は継続して行いました。ついには明治天皇に直訴を試み、東京では号外が配られるほどの大騒ぎになり、ようやく世間に足尾銅山の状況が知らされることになったのです。

    足尾銅山は産業遺産として観光名所に

    Photo byFree-Photos

    日本の近代化を押し上げ、また公害の元凶にもなった足尾銅山ですが、今では産業遺産として栃木観光の見どころとなっています。

    産業遺産とは地域に馴染んでいた産業を後世に伝える遺構や遺物で、さらに歴史的、技術的、科学的などの価値が評価されたものを示します。

    日本では文化庁が選定を行い、全世界に遺産は存在し、産業遺産に指定されることで国から維持費の補助や保護活動を積極的に行ってもらえるメリットがあるのです。

    Photo byHeatherPaque

    ただ産業遺産は足尾銅山のような鉱山も多く登録されていますが、敷地が広大なため観光業などに活用する費用が高くなるデメリットもあります。

    国や市町村によって観光の目玉にするなど産業遺産に関して様々な利用方法が考えられていますが、未来に残すために今後も積極的に議論や試行を重ねていく必要があると言えるでしょう。

    足尾銅山観光として博物館

    閉山後、産業遺産となった足尾銅山は「足尾銅山観光」という博物館へと姿を変え、坑内の一部が観光施設となっています。

    1980年にオープンして以来、延べ850万人以上が来場し、年間13万人ほどが訪れる一大観光地です。公開されている全長700mの道を進めば、足尾銅山の歴史の足跡を辿ることができます。

    また当時の作業風景、町の様子を複数の展示品から知ることも可能です。足尾銅山で採掘された銅は日光東照宮の銅瓦、江戸城の増改築部材、貨幣など幅広く使用され、日本とっていかに大切な資源であったのか身を持って体感できるでしょう。

    観光だけでなく世界遺産登録への動き

    フリー写真素材ぱくたそ

    後世に足尾銅山を残すための試みとして、観光関連以外に世界遺産登録を目指す運動も行われています。

    全世界で産業遺産としてはじめて世界遺産に登録された文化財は、ポーランドにある「ヴィエリチカ岩塩坑」です。岩塩の採掘場でしたが、資金繰りや公害の危険性から採掘は禁止され、今は観光名所として見どころの1つになっています。

    そして日本の産業遺産で初登録されたのは、国内最大の銀山・「石見銀山」です。足尾銅山とは逆に、石見銀山は鉱山でありながら環境に配慮したクリーンな印象を強くアピールをしたことも高く評価されました。

    Photo by Travel-Picture

    現在は島根県の見どころとなっていますが、イメージを崩さないために環境への負担が少ない観光スポットとしての様々な努力を行っています。

    足尾銅山の世界遺産登録への動きは2007年から本格的にはじまり、「足尾銅山-日本の近代化・産業化と公害対策の起点-」というコンセプトで提案がなされました。

    近代化に大きく貢献した産業遺産で、日本ではじめて公害が深刻な社会問題となった歴史を持つ、まさに光と闇の面がある貴重な遺産であるということが盛り込まれました。

    Photo by : : Ys [waiz] : :

    加えて鉱毒被害に関しては対策にも力を入れた経緯があるので、他の世界遺産にはない視点で見ることができる点も合わせて提案されました。

    現在も国内の暫定リスト入りを目指して活動が続けられていますが、歴史的背景や普遍的な価値の裏付けに苦戦を強いられています。しかし世界遺産登録された暁には観光客の増加と地域の活性化が見込まれるので、積極的に活動してくメリットは大きいと言えるでしょう。

    足尾銅山観光の見どころについて

    Photo bypixel2013

    足尾銅山に来た人は、まず日本一の坑内博物館・足尾銅山観光を訪れるはずです。足尾銅山観光には銅山の稼働時の状態や坑夫の作業風景を学べる見どころがたくさんあります。

    坑道を歩けるのはもちろん、併設する3つの資料館では銅鉱石が銅に姿を変えるまでの精錬過程、模型やパネルによる足尾銅山の解説を見ることができます。足尾観光の目玉ともいえるスポットなので、じっくり時間をかけてまわりましょう。

    木造のレトロな建物をトロッコで

    お洒落なロッジ風の駅から出ているトロッコ電車は足尾銅山観光の目玉ともいえる人気のスポットです。鮮やかな黄色のレトロなトロッコ電車に乗り込んで、現在足尾銅山で見学できる唯一の坑口・通洞坑を400~500mほど移動します。

    実は足尾銅山観光の入口は坑道の中にあり、トロッコで移動しなければたどり着かないようになっています。なので入場料に乗車料が含まれている形です。

    駅の中は小さな展示スペースが設けられていて、当時足尾銅山で使用された道具などを見ることができます。15分おきに発車するトロッコの待ち時間にぴったりです。

    坑内は外とは打って変わり狭くひんやりとして薄暗く、まるで採掘が行われていた時代の疑似体験をしているような気分が味わえるでしょう。終点までの約6分間は足尾銅山の当時の雰囲気が感じられる貴重な時間です。

    人形で当時の採掘を再現

    足尾銅山観光には実際に坑内で働いていた人々が行っていた作業の様子を人形で表した展示があります。表情や手元、衣服がとても精巧に造られており、遠目から見ると本物の坑夫と見間違うほどです。

    人形を含めた展示物は江戸~昭和までのエリアにそれぞれ分かれていて、作業方法や採掘技術の移り変わりを知ることができます。

    当時働いていた坑夫はかなり厳しい環境下におかれ、給料もその日の食事がままならないような低賃金だったそうです。さらに体を壊しやすい職業のため医療費もかさんだが、ほとんどが満足な治療も受けられず最後を待つだけでした。

    足尾銅山に関する古い歌には鉱山業に携わる男は短命で、妻や母親は長生きだという風刺したものも残されています。

    展示品より貨幣を学ぶことも

    足尾銅山観光の数ある見どころの中には足尾銅山で採れた銅を使った銭や歴代貨幣の紹介コーナーもあります。全国で銅の採掘量が大幅に増えた1636年から生産されはじめた「寛永通宝」や紙幣の展示があり、昔使われていたお金について知ることができます。

    戦国時代まで日本で使われていた貨幣は中国からの「渡来銭」、国産の金貨・銀貨でした。しかし江戸に入ると貨幣の統一が行われ、鋳造機関の「金座」、「銀座」、「銭座」がそれぞれ作られます。

    銭座では寛永通宝が江戸を中心に各地で鋳造され、地方で生産されたものは裏面に地名の1文字が入れられるようになりました。足尾銅山の銅を使って鋳造した銭は「足尾銭」と呼ばれ、「足」という文字が施されています。

    古銭のお土産がおすすめ

    足尾銅山観光内にある土産物店には鉱石や銅製品など鉱山らしいお土産が多く取り揃えてあります。中でも足尾銅山観光の記念におすすめなのは古銭です。先に述べた足尾銭をはじめ、様々な時代の銭が購入できます。

    1つ100円~なので個人用はもちろん、家族や友人へのお土産にもぴったりです。思わぬ掘り出し物が見つかるかもしれないので足尾銅山観光に訪れた際は買ってみてください。

    わたらせ渓谷線と足尾銅山の関係

    わたらせ渓谷線はわたらせ渓谷鐵道株式会社が運営する鉄道の路線です。名前の通り渡良瀬川の渓谷沿いを走り、群馬県桐生駅~栃木県間藤駅までの約44kmを運行しています。

    元は足尾線という名称で1911年に開業して以降、足尾銅山から採れた銅鉱石を運ぶ役割を担っていました。当初は足尾銅山を経営していた古河財閥の幹部が足尾線を管理していましたが、1918年には国の所有となります。

    その後国鉄分割民営化によりJR足尾線に改名され、再び民間企業のもと運行を開始しました。しかし足尾銅山の採掘量減少、公害の影響で閉山すると足尾線の需要はなくなり、平成に入るころには廃線を余儀なくされたのです。

    今は観光電車として生まれ変わり、足尾の見どころをまわる観光客を毎日運んでいますが、役割は違えど地域になくてはならない存在であることは間違いないでしょう。

    電車に乗って足尾銅山観光

    足尾銅山を電車で訪れる人はわたらせ渓谷線を使いますが、車窓からの見どころも観光の楽しみの1つです。普通電車は1~4両編成のレトロな造りで、休日には立っている人が目立つほどの混雑になることもあります。

    足尾銅山までの道のりで緑を楽しみつつも、銅山に近づいてくると一変して木々が見当たらない寂しい景色が広がります。わたらせ渓谷線の電車の窓からは、鉱毒の影響で現在も草木が育たない不毛の山々を見られるでしょう。

    またわたらせ渓谷線では普通電車以外にも主に土日祝限定でトロッコが走っており、こぢんまりとした可愛らしい造りで老若男女問わず観光客に大人気です。

    「わたらせ渓谷号」と「わっしー号」の2種類があり、自然の風を感じながら足尾銅山と周辺の景色を満喫できます。わっしー号は冬になると窓ガラスが取り付けられ、暖かい状態で観光名所をまわれます。

    観光のオフシーズンに該当する12月~3月は1日1往復で、4月~11月の期間は1日1~2往復となります。本数がとても少なく、観光シーズンは特に混み合うので早めの予約がおすすめです。

    わたらせ渓谷線に乗った足尾の町観光

    わたらせ渓谷線は乗るだけでも十分楽しめる電車ですが、沿線には足尾町を満喫できる観光スポットが満載です。足尾町を走るわたらせ渓谷線は「原向(はらむこう)駅」~「間藤(まとう)駅」までの4駅で、産業遺産と自然が調和したモダンな雰囲気の景色が見ものです。

    足尾駅のそばには足尾銅山を経営した古河財閥によって建てられた迎賓館・「古河掛水倶楽部」もあり、大人500円・小中学生300円で見学できます。

    大正時代の建築物で、2006年国の登録有形文化財に指定されています。イギリスの建築家ジョサイア・コンドルの影響を受けた和洋折衷の造りで、お洒落でモダンな内装が見どころです。

    他にも産業遺産の町らしい観光スポットがあるので、電車を上手に利用して時間の許す限り散策してみましょう。

    紅葉を楽しめるハイキングも

    Photo byjbom411

    足尾銅山周辺は山に囲まれているので、少し歩くだけで秋には紅葉を楽しむことができます。今でも木々が生えないハゲ山と麓で色づいているモミジの不思議な風景も足尾ならではの見どころです。例年10月末~11月上旬に紅葉のピークを迎え、多くの観光客で賑わいます。

    またわたらせ渓谷線の終点・間藤駅からアクセスできる「備前楯山(びぜんたてやま)」は足尾銅山を指し、実際に銅山に登れる珍しいスポットです。間藤駅から山まで距離はありますが途中、「足尾精錬所跡」や「舟石峠」などの見どころを楽しみながら歩けます。

    備前楯山の標高は約1270mで道も整備されているので、登山に近いハイキングを体験したい人にぴったりです。紅葉の季節には真っ赤な趣深いヤマツツジを目にすることができるでしょう。

    電車に乗ってイルミネーションを楽しめる

    紅葉シーズンの終わった冬季でも足尾の町には観光の見どころがあります。例年12月1日~2月末まで行われているわたらせ渓谷鐵道各駅のイルミネーションで、ツアーが組まれるほどの大変な人気を集めているのです。

    わたらせ渓谷線の全17駅で17時~各駅終電まで点灯されており、電車の中から眺めるのはもちろん気になるイルミネーションの駅に降りて写真を撮るなど、人それぞれ好きな方法で鑑賞できます。

    雪が積もっている日は色とりどりの電飾が白色に映えて、より幻想的な風景を楽しめるでしょう。休日やクリスマスシーズンは特に混雑するので、運行時間に気を付けてプランを立ててください。

    足尾銅山の基本情報

    Photo byniekverlaan

    足尾銅山にアクセスするときは足尾銅山観光を目的地に設定し行動します。現地で周辺の観光スポットについて情報を仕入れたい場合は、最寄りの観光案内所を尋ねると良いでしょう。

    足尾銅山観光は9時~16時30分まで営業しており、トロッコの乗車代を含め入坑料は大人830円・小人410円となっています。

    車でのアクセス

    Photo byFree-Photos

    足尾銅山に車でアクセスする場合は有料の「日光宇都宮道路」を走り、「清滝IC」で降りてください。下車後は国道122号線を経由し、県道142号線を進むと約30分ほどで目的地に到着です。

    途中にある「細尾大谷橋交差点」は左折すれば、そのまま122号を走行できます。足尾銅山観光の案内板もところどころに出ているので、比較的迷わずにアクセスできるでしょう。足尾銅山観光の入口横に広めの無料駐車場があるので利用すると便利です。

    電車でのアクセス

    フリー写真素材ぱくたそ

    電車でアクセスする場合はバスと併用するパターンと電車のみ利用する方法があります。自宅からのアクセスの良さやわたらせ渓谷鐵道に乗りたいか等、観光の目的に合わせて使う交通機関を選びましょう。

    電車・バス併用の場合、「JR日光駅」か「東武日光駅」で下車し、「双愛病院行」の市営バスに乗り換えます。約50分ほど揺られると足尾銅山に1番近い「銅山観光前」バス停で降り、10分ほど歩けば足尾銅山観光に到着です。

    Photo by haru__q

    バスを使うときの注意点として1日の運行本数が4本と大変少ないので、最終便を逃さないようにこまめに時間を確認するようにしましょう。

    そして電車のみでアクセスするパターンは、「JR桐生駅」からわたらせ渓谷線に乗り換える方法です。わたらせ渓谷線の「通洞駅」で下車すれば、徒歩約5分で足尾銅山観光の入口まで行けます。

    住所 栃木県日光市足尾町通洞9-2
    電話番号 0288-93-3240

    足尾銅山に行って歴史を観光しよう!

    負の遺産とも捉えられる足尾銅山ですが、日本一栄えていた銅山であり産業遺産としての価値は他に劣らないほど高いといえます。今の日本をつくった立役者である足尾銅山を観光すれば、貴重な歴史の目撃者になれること間違いなしです。

    るるいえ
    ライター

    るるいえ

    小学生のころから旅行と文化財を愛してやまない、るるいえです!行きたいところ、見たいものがあれば1人でどこにでも行きます。最近は刀剣にはまっているので、暇があれば博物館や関係地各所を巡っています。皆さんのお出かけの助けになるような情報を発信できればと思っています!

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